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元阪神・横田慎太郎さん一周忌…姉・真子さん告白「家族全員で泣きじゃくりました」

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年7月19日 16時28分

元阪神・横田慎太郎さん一周忌…姉・真子さん告白「家族全員で泣きじゃくりました」

SMBC日本シリーズ2023  阪神タイガース対オリックスバファローズ 第7戦 故横田慎太郎のユニフォームを掲げる岩崎優(C)日刊ゲンダイ

 2023年11月5日、阪神タイガースが38年ぶりの日本一に輝き、胴上げされた岩崎優投手(33)とともに宙を舞った背番号「24」のユニフォーム。このおよそ4カ月前に、脳腫瘍のため、28歳の若さでこの世を去った、元阪神の横田慎太郎さん。横田さんの一周忌法要が、7月18日に故郷・鹿児島で執り行われた。

 横田さんは2013年に鹿児島実業高校を卒業後、ドラフト2位で阪神に入団。16年の開幕戦で一軍デビューし、パワーのある打撃で将来が嘱望された。しかし、17年、沖縄での春季キャンプ中に脳腫瘍と診断され、治療のため一時チームから離脱。その後、再び復帰するも視力が回復せず、19年に現役を引退。治療を続けながら、自身の闘病生活に重ねて“諦めない心”と題した講演活動などを行っていた。

 一周忌を前に、横田さんのご家族に話を聞くことができた。

「(ユニホームが宙に舞った)あの瞬間、家族全員で泣きじゃくりました」

 こう話す姉の真子さんに、今改めて心境を語ってもらった。

 ──慎太郎さんが亡くなってから1年がたちました。

「実は、まだ実感が湧いていないのが正直なところです。慎太郎がホスピスに入った時、家族4人病院で生活をしていました。私は東京と(入院先の)神戸を行き来する生活でしたが、最後に家族で暮らせたので悔いはありません。今私が前に進めているのは、あの期間があったからだと思います」

 ──慎太郎さんは真面目な上、天然キャラで有名でしたね。

「私とは正反対の性格で、常にタイムスケジュールを決めて起床、食事、就寝とその通りに過ごしていました。行き当たりばったりの私は、『よくそんなスタンスで生きていけるな』っていつも呆れられてました(笑)。自分の家でなくても電気をこまめに消したり、先輩選手の入浴中に『出しっぱなしはよくない』と、シャワーの水を止めて回っていたそうです」

試合の間、ピッチャーの頭上で白い蝶々がぐるぐる回っていた

 生真面目なあまり、先輩に遠慮なくものを言うあたりが天然ぽくて、疎まれるどころか誰からも愛された。誰よりも先にトレーニングを始め、出番のない試合でも誰よりも声を出していた横田さん。どんなに厳しい状況でも、病を克服できると信じて疑わなかった。そんな横田さんにご家族は余命宣告を伝えなかったという。

「一年は本当に早いです。お陰様で皆さんに励まされて日々を過ごしています」

 こう話すのは、母・まなみさん。まなみさんは横田さんが亡くなった直後のことをこう振り返った。
 
「慎太郎が亡くなってすぐ、球団から追悼試合をしてくださると連絡をいただきました。1番辛いときでしたが、喜んで行かせていただき観戦しました。ほんとうに行ってよかったです」

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