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フェンシング見延和靖「だからこそまた一歩を踏み出せた」…“道”を悟った101歳からの金言

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年8月2日 17時47分

 そのときは「なるほど」と言いましたが、正直「?」でした。しばらく考えて、導き出した僕なりの解釈は「畑や山に木が生えるのは当たり前だけど、岩に枯れた木が生えているのは普通ではない。どんな環境、状況でも木は植物として生まれたからには花を咲かすという仕事がある。金メダルを取ったから偉いわけでもなく、これまでやってきた通り、また花を咲かせないといけない。頂点にたどり着いたからといって、そこで道が終わるわけではない。そこで歩みを止めるという考え自体がおかしいのではないか」と。「道」というのはきっとそういうことだと思いました。

 僕自身、フェンシングというものをひとつの道として捉え、フェンシングの職人であると思っていました。その中でお茶の道や禅を極められた元家元の言葉はすごく力強く僕の中に響きました。

 競技を続ける覚悟がつき、東京五輪の後にプレースタイルを大きく変えました。練習メニューも変わって実戦的な練習がガクンと減りました。一方で、ケアやトレーニングに充てる時間や自分の内側を見つめる時間がかなり増えたと思います。

 日本人選手は小柄なので、いかにフットワークを生かして、中に潜り込みながらスピードで相手の先を取るか、というプレースタイルが得意とされてきたんですが、足や膝のケガに悩まされたり、年齢を重ねていくにつれ、その俊敏性が失われていく。これはマズイなと。そこで、スピードを落として手と足のバランスをリンクさせながら、かなりディフェンス寄りのスタイルに変化させました。

 突くのではなく、(剣を)置いている場所に相手が来るように仕向けるような感覚です。「間」をどれだけ相手に悟られずにタイミングを取れるか。そういう戦術になると、気配のオンオフが大事になってきます。

 フランスはフェンシング発祥の地ともいわれ、有観客というのもモチベーションのひとつです。フランス人はフェンシングリテラシーがすごく高い。お客さんも突いたから喜ぶのではなく、ちゃんとフェンシングを理解したうえでプレーを称賛する。日本もそうですが、世界でもなかなかそういう環境の中で試合することがありません。フェンシングは世界大会でもお客さんが入らない試合の方が多いし、シーンとしているからといってやりづらさは感じないですが、僕の場合は応援してもらえる喜びをリオ大会で経験しているので、無観客の東京五輪で家族を呼んで生で試合を見せてあげられなかったことが心残りでもありました。

 パリは自分のためでもあるけど、自分以外の人のために挑む大会でもあります。だからこそまた一歩を踏み出せた気がします。

▽見延和靖(みのべ・かずやす) 1987年7月15日、福井県越前市出身。武生商業高校時代に父親の勧めでフェンシングを始める。2016年リオ五輪で個人戦6位入賞。19年に世界ランキング1位となる。21年の東京五輪で男子エペ団体で金メダルを獲得。22年の世界選手権では日本人初の個人戦準優勝に輝く。フェンシングの折れた剣を包丁に再生する「折れ剣再生プロジェクト」の発起人になるなど、SDGsにも力を注ぐ。

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