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クミコさんとシャンソンは“腐れ縁”…「愛の讃歌」はスカスカの軽石が密度を増して普通の石のように【人生を変えた一曲】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月9日 9時26分

 ただ、通うのはいいけど、どうも様子がおかしい。最初に教わったシャンソンはエロチックだけど、暗くて知らない歌でピンとこない。それは聴いたことがある越路さんのとは違っていました。それですっかりめげてしまい、シャンソンの授業には行かなくなって。

 6カ月後、卒業する前に発表会がありました。シャンソンとカンツォーネを1曲ずつ歌わないといけないけど、私はシャンソンは越路さんの「サン・トワ・マミー」しか歌うことができない。それで友達が歌おうとしていたのに、私に歌わせてとお願いして、その場はなんとかしました。私にとってはその時の「サン・トワ・マミー」が初めて歌ったシャンソンでした。

最後に一発ホームランをかっ飛ばせばなんとかなる

 その後、個人的に先生にシャンソン、カンツォーネを教えてもらったりしているうちに大学卒業間際。もう誰もいない校内を歩いていたら、私にとっては少ない何人かの友達のひとりが向こうから歩いてきた。大隈重信像の前です。「クミちゃん、ピアノが弾けるよね。これからバンドの練習に行くけど、一緒に来ない?」とたまたま誘われ、一緒に渋谷の道玄坂にあったヤマハの音楽教室に行き、彼女はボーカル、私はピアノを弾いて。

 その日はそれで終わり、翌日のことです。彼女がトンズラしちゃったの。それで私がバンドのボーカルをやることになり、歌を歌えたのは楽しかったですね。そして大学卒業と同時にそのバンドに入ることに。2年後の78年に「ヤマハポピュラーソングコンテスト」に出て、「世界歌謡祭」にも出場できました。

 ソロでデビューする話もあって、レコーディングもやっていたのにボツになり、また人生浪人が始まるのかなとガックリです。何もかもうまくいかなくて、やることがないのでバンドのメンバーと結婚したのが26歳の時です。

 でも、もう後がない。2人で「2死満塁、もうダメ、でも、最後に一発ホームランをかっ飛ばせばなんとかなる」と夢を見ながら、食いつないでいる状態でした。

 そのひとつの夢がシャンソン喫茶「銀巴里」のオーディションです。イチかバチか、1次試験は自分たちで作った誰も聴いたことがない、シャンソンっぽい曲を歌いました。めちゃくちゃな話だけど、どうにかパス。シャンソンを歌う2次試験は「サン・トワ・マミー」しか歌えないので、歌ったら合格。青春時代からアタフタしながら、その日暮らしの連続でしたが、それでもやっと一息つくことができました。

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