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プロスキージャンパー竹内択さん難病「チャーグ・ストラウス症候群」との闘い 葛西紀明さんの言葉がなかったら…

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年10月14日 9時26分

プロスキージャンパー竹内択さん難病「チャーグ・ストラウス症候群」との闘い 葛西紀明さんの言葉がなかったら…

竹内択さん(本人提供)

【独白 愉快な“病人”たち】

 竹内択さん(プロスキージャンパー/37歳)
  =チャーグ・ストラウス症候群

  ◇  ◇  ◇

 チャーグ・ストラウス症候群は「好酸球性多発血管炎性肉芽腫症」ともいって、本来、体を守ってくれる白血球の一種である好酸球が全身の血管を攻撃する病気です。どこがどのくらい攻撃されるかは人によっていろいろで、自分の場合は「肺」で発症しました。

 明らかに症状が出たのは、2013年の秋からです。喉がイガイガして、走るとヒューヒュー音が鳴る喘息のような症状が続きました。その前からずっと、においが分からない状態でもあったんですけど、受診するほど気にしていませんでした。

 ジャンプの世界では毎年、年末年始にドイツとオーストリアで1週間に4試合する「ジャンプ週間」という伝統ある大きな大会がありまして、それに出場したところ、その最中に40度近い熱が出てしまいました。仕方なく最後の4戦目を欠場したのですが、その後にワールドカップが予定されていたので、そのままヨーロッパにとどまって熱が下がるのを待つつもりでいました。

 そのとき、コーチやチームメートの葛西紀明さんが「日本に帰って検査した方がいい」と言ってくれたのが、早期に病気が見つかった要因です。あの葛西さんの言葉がなかったら、そのままワールドカップに出て、きっともっと重症化していたと思います。

 治療の最初はステロイドの大量投与で急激に炎症を抑えて、様子を見ながら徐々にステロイドの量を減らしていくパルス療法で、そのために1カ月間入院しました。本来はもっと時間をかける治療らしいのですが、その冬の2月にソチ五輪があったので、先生にだいぶ無理を言いました。

 自分は1998年の長野五輪のジャンプ団体戦を見てカッコイイと思ってジャンプを始めたので、五輪への思いは人一倍でした。病室にエアロバイクを持ち込んで、治療とトレーニングの同時進行で無理やり間に合わせたのです。

 退院後も、運動するとすぐに息が上がって、膝に手をついて背中で息をするような状態でした。それでも、なんとか出場して団体でメダルを獲得できました。

薬さえあれば日常生活に支障はない

 そこからは、いろいろな薬を試しました。ステロイドは1~2年間だけで、その後は月に1回の自己注射をしています。薬をトライアンドエラーした結果、ここ3年ほど使っている薬がとても相性がいいようで、分からなかった嗅覚が戻ってきて、体の方も好調です。

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