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稀代の大実業家・稲盛和夫氏はなぜ子供たちに「利他」の重要性を伝えたのか?

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年11月15日 9時26分

私はただ一人、神さまのもとにやってきました
しかし、そこにはもう一人の私がいました
その暗闇にいる私は、一体誰なのでしょうか
私はこの人を避けようとして、脇道にそれますが、
彼から逃れることはできません
彼は大道を練り歩きながら、地面から砂塵をまき上げ、
私が慎ましやかにささやいたことを大声で復唱します
彼は私の中の卑小なる我、つまりエゴなのです
主よ、彼は恥を知りません
しかし、私自身は恥じ入ります
このような卑小なる私を伴って、
あなたの扉の前に来ることを

 タゴールは、このような詩を書いています。彼はこの詩の中で、利他的な、優しい思いやりに満ちた心を持った自分と、薄汚く、意地悪で、すぐに怒ったりする、自分だけよければいいという強欲な心を持ったもう一人の自分とが同居しているということをうまく表現しています。

 私自身は、できるだけ美しい心で生きたいと思っているのに、薄汚いもう一人の私が自分から離れようとせず、どこまでもついてくる。これは同じ心の中に同居しているわけですから、離れていくわけがありません。そのことを神さまの前で恥じていると言っているのです。

心は放っておくと雑草が生い茂る

 では、この自分だけよければいいという利己的な心を抑え、利他的な美しい心を発揮していくには、どうすればよいのでしょうか。

 そのことについて、前に紹介したイギリスの哲学者ジェームズ・アレンは、人間の心を庭に例えて、次のように表現しています。

 読ませてもらいます。

 人間の心は庭のようなものです。それは知的に耕されることもあれば、野放しにされることもありますが、そこからは、どちらの場合にも必ず何かが生えてきます。
 もしあなたが自分の庭に、美しい草花の種を蒔かなかったなら、そこにはやがて雑草の種が無数に舞い落ち、雑草のみが生い茂ることになります。
 すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育みつづけます。同様に、私たちも、もしすばらしい人生を生きたいのなら、自分の心の庭を掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、そのあとに清らかな正しい思いを植えつけ、それを育みつづけなくてはなりません。(『「原因」と「結果」の法則』サンマーク出版より)

 このようにジェームズ・アレンは言っています。つまり、人間の心というものは、自分で手入れをしなければならないのです。放っておいたのでは、雑草が生い茂る庭のようになってしまいます。すばらしい草花がきれいに咲いた庭のような美しい心にするためには、自分の心の状態をよく確認して、手入れをする必要があるということを彼は説いています。

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