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「ホープ軒」は千駄ヶ谷で開店50年…牛久保英昭社長に聞く「私の根底にあるのは『お客さんはタクシー運転手』」

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月12日 9時26分

「ホープ軒」は千駄ヶ谷で開店50年…牛久保英昭社長に聞く「私の根底にあるのは『お客さんはタクシー運転手』」

「ホープ軒」の牛久保英昭社長(C)日刊ゲンダイ

 20歳からラーメン屋台を引き始め、東京・渋谷区千駄ケ谷の地に店を構えてから2025年に50年の節目を迎える。背脂こってりラーメンの“生みの親”と言われるのが、この人だ。半世紀にわたり千駄ケ谷でラーメンを作り続け、節目に何を思うのか。ざっくばらんに聞いた。

  ◇  ◇  ◇

 JR千駄ケ谷駅から徒歩7分。1月13日に第103回高校サッカー選手権決勝が行われる新国立競技場の脇に立つ黄色いビルが「ホープ軒」だ。創業者の牛久保氏は25年2月に御年86歳を迎えるが、今なお現役で毎日休まず現場に立っている。

「午前11時から午後1時くらいまで、息子から『帰っていい』と声がかかるまでやっていますよ。日曜日は忙しいから、なかなか声がかからない時もある。場所柄、野球のナイターが終わる時間になると結構忙しくなるんで、それに合わせて夕方の6時、7時ぐらいから、お客さんが切れる夜10時ぐらいまで立っていることもあります」

 戦時中、東京・浅草に生まれ、終戦を迎えたのは小学校へ上がる頃。中学卒業後に職を転々とし、1960年に赤羽で見習いとしてラーメン屋台を引き始めた。

「赤羽でやっている時に、現在の『ホープ軒本舗』が出していた屋台募集の広告を見つけ、赤羽でやるよりかは都心の方で屋台を引く方がいいだろうと思って移りました。最初は新宿周辺から始めて、そのうちNHKの本部があった内幸町あたりを開拓しまして。東京新聞やジャパンタイムズなど、マスコミの人が多くてね。普通は昼時に客が集中するけど、マスコミの人は昼の時間が決まっていないから、誰かしら次々とやって来る。言ってみれば、昼の時間がずっと続いているわけです。NHKの近くでNHKの水を使って、スープを作っていました(笑)。本当はダメなんだろうけど、当時のNHK労働組合の委員長が、『いいから使え』って言うんで。本当に世話になったなあ」

 この頃、ホープ軒の代名詞である背脂スープが誕生した。

「当時のラーメンスープは澄んだものが主流でした。沸騰させちゃいけないし、濁らせちゃいけない。ラーメン専門店なんてほとんどない時代で、スープといえば中華料理屋が使っているものでした。いろんな料理に使うから、濁らせてはいけないことに気が付いたんです。こっちはラーメン屋だから、少しぐらい濁ったって自分がうまいと思えればいい。それでバターや鶏油などを入れて試した結果、豚の背脂に行きついたんです」

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