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突然母が別人になった(11)東京で連絡を受けるだけ…じわじわと気持ちが追い詰められていった

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月22日 9時26分

突然母が別人になった(11)東京で連絡を受けるだけ…じわじわと気持ちが追い詰められていった

あまりのストレスから逃れようと海を見に行った(本人提供)

 レビー小体型認知症と診断された母が熱中症で救急搬送され、入院し約10日後。「明日退院してほしい」という連絡があり私は仰天した。

 認知症専門医院の初診がいつになるかわからず、実家でひとり待つ父からも、体調が悪く、ずっと寝ているという連絡があったばかりだった。

 慌ててS認知症専門医院に現状を相談すると、初診の日程が10日後に繰り上がった。しかし、時はコロナ禍の初期。東京に住んでいる私が母と接触したら診察しないと言われてしまう。

 そこで立ち上がってくれたのが母の3人の妹たち。救急医院の退院から専門医院の初診までを引き受けてくれるという。

 思い返してみると、この10日間が私にとっては地獄だった。朝、日中、夜と、叔母たちはシフトを組んで母のところに行ってくれた。

「薬を飲ませたよ」「なんとかスープを食べさせたよ」「体を拭いてあげたよ」「今日は言葉が出て、こういうことを話していたよ」といった電話が、順繰りに私の携帯にかかってくる。

 しかし、どの報告でも母の心身の状態がいいようには思えないのだ。母の状態を想像することしかできない私は、心から疲れてしまった。自分が実家に帰って母の世話をすることができず、叔母たちに頼っているという罪悪感にも苦しんだ。

 叔母たちは元気がいいといっても80歳前後。当然、それぞれの家庭もあり事情も抱えている。それでも献身的に実家に通って母の面倒を見てくれるのは、どういうことなのだろう。

 私は、この姉妹の絆に圧倒されていた。決して裕福ではない農家に生まれ育った彼女たちは、多くの苦労を一緒に乗り越えてきたことだろう。80代になってなお、そのつながりが続いていることに、兄弟姉妹のいない私はうらやましさも感じるのだった。

 それは同時に、私自身が年を取ったとき、助けてくれる人はいないという予告でもあった。友達づきあいもそれなりにしてきた母だったが、今、このような状態になっていることを知っている人もいないだろう。知ったところで、誰かが具体的な手伝いをしてくれるとも思えない。

 要介護認定を受ける前と、医療にアクセスする前のこういった空白期間をどう乗り切ればいいのだろうと考えながら、東京で連絡を受けるだけの私の気持ちはじわじわと追い詰められていった。 (つづく)

▽如月サラ エッセイスト。東京で猫5匹と暮らす。認知症の熊本の母親を遠距離介護中。著書に父親の孤独死の顛末をつづった「父がひとりで死んでいた」。

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