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「1983年の沢田研二」は一筋縄ではいかない年。冷静に迫っていきたい【1983年の沢田研二】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年2月5日 9時26分

「1983年の沢田研二」は一筋縄ではいかない年。冷静に迫っていきたい【1983年の沢田研二】

初にして「最後」の自叙伝(提供写真)

【沢田研二の音楽1980-1985】#69

 1983年の沢田研二

  ◇  ◇  ◇

 連載タイトルの年代表記「1980-1985」を2つに分けると、前半が「1980-1982」、後半が「1983-1985」ということになる。

 つまりここで連載が後半に入る。おそらく多くの方が予感しているように後半は、前半の派手、賑やか、ポップな筆致に比べて、もう少し冷静なものとなるだろう。

 そもそもレコードの売り上げが落ちていく。1983年といえば、わらべ「めだかの兄妹」が街に流れまくっていた年。変化していく音楽シーンと「沢田研二の音楽」との噛み合わせが少しずつギクシャクしてくる。

 ま、とは言っても、沢田研二はデビューから今年(2025年)で58年(余談だが私も58歳)。ここでの前半・後半の違いなど、ちっぽけといえばちっぽけな話なのだが。

 85年発売、沢田研二著「我が名は、ジュリー」(中央公論社)巻末の年表から、83年について主だったところを抜粋する(表記はそのまま)。

▽1月、シングル『背中まで45分』発売。

▽1月2日、全国縦断コンサート、スタート。

▽3月、カセットテープ『ジュリーソングカレンダー』発売。コンサートライブビデオ『ミスキャスト』発売。

▽4月、TBS「沢田研二ショー」(毎日曜)スタート。9月まで。

▽5月、シングル『晴れのちBLUE BOY』発売。

▽9月、シングル『きめてやる今夜』発売。

▽10月、LP『女たちよ』発売。

▽12月31日、レコード大賞「きめてやる今夜」で特別金賞受賞。同日、NHK紅白歌合戦 第1回金盃受賞。

 コアなファンでなければ、知らない曲名、アルバム名が出てくる年になるはずだ。

 逆にコアなファン(それもロック系)の方は「晴れのちBLUE BOY」というタイトルに沸き立つのではないか。そして総合司会のタモリが「歌う日露戦争」という秀逸な比喩をした同年紅白での同曲の見事なパフォーマンスも思い出して、盛り上がることだろう。

 とにかく一筋縄ではいかない年である。83年、そして連載後半を通じて、お手盛りな書きっぷりになるのは本意ではないので、あくまでも冷静に迫っていきたい。

 ただ「晴れのちBLUE BOY」には盛り上がっちゃうだろうなぁという予感もあるけれど、それもとりあえずは「ヤシの実の中」に隠して、冷静に冷静に。

 まずは新年早々、テレビを見ていた私が唖然とした、元日発売のあのシングルから。

▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。

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