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女優・剣幸さん「中畑清さんの引退試合のホームランを見て退団を決めた」【その日その瞬間】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年2月10日 9時26分

女優・剣幸さん「中畑清さんの引退試合のホームランを見て退団を決めた」【その日その瞬間】

剣幸さん(C)日刊ゲンダイ

【その日その瞬間】

 剣幸さん
 (女優/元宝塚歌劇団)70歳

 ◇  ◇  ◇

 宝塚歌劇団の月組男役トップスターだった剣幸(つるぎ・みゆき)さん。退団後も俳優として映画やテレビ、ミュージカル、さらに音楽活動と幅広く活躍。1974年の宝塚入団から芸能生活は50年を迎えた。いくつもあった転機を語ってくれた。

 ■高校時代は富山の工業高校でボルトの製図をやっていた

 まず自分の人生が「ここでひとつ変わった」と聞かれたら、工業高校を選択したことですね。富山県の田舎で過ごした中学時代までは将来のことも何も考えずに過ごしていました。高校進学時には、まだ何になりたいかとかは決まっていませんでしたが、何かモノづくりができるかもしれないと思ったんです。

 絵を描いたり、プラモデルとかお料理とか何か作ったりするのが大好きだったんですよ。それで工業高校に行けば、例えば家の設計とかデザイナー的なインテリアデザインの製図が描けると考えていました。実際はまったく違っていてボルトやナットの製図などをやらされました。

 高校を卒業したらどうする? その時にふと思ったのが宝塚受験です。受かる受からないよりも人生の中で一度は絶対チャレンジしなきゃいけないんじゃないかと。当時はNHKで「歌のグランドステージ」という番組があった。人気歌手の歌謡ショーです。そこに宝塚のトップスターが出ていて後ろで踊ってた。それを見て「ダンサーになりたい」と。怖いもの知らずですよね(笑)。よく考えたら音楽の授業もない工業高校に行って、音楽学校を受けるもないですよね。

 高校3年の夏休みにバレエを習い始め、宝塚にも行きました。その時に初めて宝塚のショーを見ました。花組の甲にしきさんの「浜千鳥」と瀬戸内美八さんの「人魚姫」。この世の中にこんなものがあるんだ、「きれい!」と感じましたね。受験までにはいろんな人が協力してくれました。高校の先生が神戸出張のついでに宝塚の音楽学校に寄って、「富山の工業高校で何もしてない子ですが、受けられますか」と聞いてくださったり、吹奏楽部の先生が「宝塚を受けるんだって?」と声をかけてくれて、試験の出る範囲の対策をしてくださったんです。

 その結果、宝塚に見事合格(74年)。ただ、ショックだったのは父親からは「30歳まで結婚は考えるな」と言われたこと。「おめでとうじゃないんだ」って思った。あの言葉は忘れられません。

 入学すると周囲とはレベルが違い過ぎて自分が来る世界じゃないと思いました。でも、楽だったのは「劣等生だからできなくて当然」と思えたことです。そんな中でも私はギターを弾いていたおかげで、三味線には馴染みがあるから得意で、タップとか日舞とか、いろんなものを教えてもらえるのも楽しかった。

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