【コラム】タイ人に愛された日本兵:第4回(全7回)〜日本兵の生活と住民との交流
Global News Asia / 2022年8月12日 11時0分
今年も終戦の日が近づいてきた。毎年この時期になるとタイ北部ミャンマーとの国境に接するメーホンソン県のクンユアム警察署長だったチャーチャイ・チョムタワット氏のことを思い出す。氏は在任当時から日本兵がクンユアムに残していった遺物を村人から買い集め、それらを展示するために博物館を創設。そして、村人から聞いた物語やエピソードを書き遺した。それらの文物を後世の若い人たちに伝えることが自分の責務だと言っておられた。タイに住むライターとして、本コラムをチューチャイ氏に献呈したい。
「第2次世界大戦でのクンユアムの人々と日本の兵隊さんの思い出」より
パーン・ターヌーさんの話
メーホーンソーン県クンユアム郡クンユアム町に住んでいるパーン・ターヌーさんは、第二次世界大戦のことをよく覚えている。1942年のはじめから、終戦の1945年にかけて、クンユアム郡には多くの日本兵がいた。当時、パーンさんは13歳だった。クンユアム郡のほとんど全ての家には、日本兵が寄宿していた。パーンさんの家は市場と警察に近かったので、常時4~5人の日本兵が寄宿していた。この意味するところは、別の土地で職務を実行する人がいた場合、別の兵士が代わりにやってきていたことになる。空いている家がないようにするためのようだ。家に寄宿していた日本兵は、ほとんどが技術者で順番に交代で寄宿していた。戦争の4年間、兵士たちは家の階下に住み、家の主は階上に住んだ。朝、兵士たちは朝食を摂った後、それぞれ仕事に出かけ、昼には昼食のために家に戻り、昼食後は仕事に戻った。夕方は家主を手伝って夕食とあくる日の朝食の準備をした。
兵士たちは米搗きや薪割りをし、水を汲んで沸かし、お風呂に入った。家の様々な仕事を率先して手伝った。夕方、ご飯と魚の夕食を食べた後、どこにも出かける用事のないときは、パーンさんの家族と話をして過ごした。また、交代で言葉を教えてくれた。それで、まだ娘だったパーンさんは日本の歌を、少なくとも5~6曲歌うことができた。それから60年が過ぎた現在、パーンさんは78歳(※調査当時)になっているが、まだたくさんの日本の歌を覚えている。そして「靴が鳴る」の歌をまだ歌うことが出来る。
「おてて つないで 野道をゆけば
みんな かわいい 小鳥になって
歌をうたえば 靴が鳴る
晴れた お空に 靴が鳴る」
日本の兵士たちは、クンユアムにいる間にクンユアムに関する歌をつくった。題名はなんというかわからない。しかし、パーンさんは歌うことが出来る。
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