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「金運寺」と呼ばれる1200年の伝統を持つ千葉・長福寿寺…「胡散臭さ」の裏にある、〈元経営コンサル〉第56代住職の生涯をかけた思い

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月3日 10時30分

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同じように働いていても、平均的な収入の人と、どんどん稼いで裕福になっていく人は、何が違うのでしょうか? お金持ちになれる人は、どうやら普段の生活習慣やマインドが一味違うようです。元・経営コンサルタントであり、現在は長福寿寺 第56代住職である今井長秀氏の著書『金持ちの生活に真似ぶ』(文友舎)より、すぐに真似できる“お金持ちの生活習慣”のアドバイスを見ていきましょう。

今井流・経済学と仏門のハイブリッド論

「今井、いいなあ、おまえは坊さんになるチャンスがあるなんて!」 「日本経営合理化協会」という、コンサルティング会社に勤務していた頃に先輩からかけられた言葉です。当時、実家の後を継ぐつもりのなかった私には、理解することができませんでした。ただこの10年後にこの言葉の重要性を知ることになります。

本当に簡単ではありますが、はじめに今井長秀についてお話をさせてください。当寺にいらしたことのある方はご存じかもしれませんが、長福寿寺は普通のお寺とは少し様子が違います。

千葉県長南町の片田舎、(これだけは胸を張った自慢ですが)広大な敷地の長福寿寺の境内には、いつもポップスやジャズが流れております。本堂の前には、寺のシンボルである「吉ゾウくん」と「結愛ちゃん」の、4メートル近い石像がそびえ立ち、参拝客のみなさんを迎えています。寺務所(お守り授与所)には、お守りや金運アップのために長福寿寺が考えたアイテムが、数多く並びます。小さなお子さんが遊べるような遊具も用意しました。

いわゆる“寺の静けさ”というものからはかけ離れた、テーマパークのような明るさをふんだんに漂わせた寺なのです。

そんな長福寿寺のことについて、 「金運ばかりにこだわって、お守りや御祈祷までしている。胡散臭くない?」 「由緒正しいお寺なのに、荘厳とした雰囲気もなく、不謹慎だ」

さまざまなご意見を日々、ちょうだいしております。ありがとうございます。

でもその胡散臭さの裏には、1人の経営者=私の生涯をかけた思いがあるのです。

約1200年前に、桓武天皇の勅願によって建立された長福寿寺。国内で勅願の上に建てられた寺は、50寺ほどしかありません。そのため、本堂には菊の御紋を掲げております。先代である私の父が住職を務めていた頃は、皇室の関係者なども参拝に来てくださいましたが、年間の参拝客数は1,000人ほど。境内に鐘の音が鳴り響く、由緒正しきお寺でした。

坊主と呼ばないで

そんな家に生まれましたが、私の未来設計図に住職になる予定はなかったのです。と言いますのも、高校1年生から、大学1年生までの青春真っ盛りの時期、父親から当たり前のように、厳しい修行へ出されました。それはもう……令和のこの世では、社会問題になりそうな指導が続き、仏門への興味が薄らいでしまったのでしょうね。 そして、興味を持ちはじめたのが経営者としての道。その勉強をするためには、経営コンサルタントになろうと、1990年、大学4年生のときに「日本経営合理化協会」でアルバイトを始め、そのまま入社。当時、「経営の神様」と呼ばれた牟田學さんや、コンサルティング会社を一部上場の会社に押し上げた船井幸雄さんといった人物に心底憧れていました。自分も日本のトップに立ちたいと。

社会人になってからは、今でも師匠と呼んでいる牟田學さんの教えを仰ぎながら、コンサル業にまい進していました。22歳から32歳までの10年間、本当に仕事をすることが楽しかった。

コンサル会社とはいいましても、入社5年間で社員の方向性は大きく2つに分かれます。現場に出かけて経営指導をするか、事業繁栄・商売繁盛のお手伝いをするプロデューサーになるか。私は後者を選択しました。

当時はバブル全盛期。たくさんの経営者たちが集い、私たちがプロデュースした勉強会で学んでいました。東京の「パレスホテル」で年に2回、全国から800人の経営者を集めて講演会をすることも。

今も同様ですが、血気盛んに

「何としても儲けたい」

と野心を燃やす経営者たちが日本中にあふれていたのです。

ちょうどこの頃、冒頭で書いた先輩からの、私が寺の後継者になるチャンスがあることをうらやましがる発言がありました。

社員とはいっても終身雇用を望んで入社してくる人は少なく、皆将来、独立することを目指していました。会社には“二代目”と呼ばれる人たちも多く在籍、さらに現役のお金持ちを目の当たりにしていた先輩たちは、その多くが“目に見えない力”を必ず信じていたこと、それから仏教論が事業繁栄にもつながることを知っていたのです。

「坊さんは素敵な仕事だよ。経営することも、人を癒すこともできる」

「坊さんっていうのは、最高の人間コンサルタントだよな」

ああ、そういう見解もあったのかと、私の心に今までなかった光が差し込んでくる瞬間でした。

開かれた新・長福寿寺への道

一度は将来像から全力で遠ざかっていった、僧侶への道が先輩たちからの助言を受けて、徐々に戻ってきました。さらにこの思いを後押ししたのが、バブル崩壊です。今まで好景気の波に乗っていた経営者たちが、次々に倒産に追い込まれていく事態を目の当たりにしました。それだけではありません。家族や社員を残して、自ら命を絶つ人も見てしまった。私は悔しくて仕方がなかった。

「……たった数千万円のために命を落とすなんて!」

数千万円を軽く見ているわけではありません。命と現金を換えることはできない、そういう意味なのです。

1999年。私は父に長福寿寺の後継者と認めてほしいと頭を下げました。妻や4人の子どもたちも、突然、一家の主人が都会の会社員から住職に変わるわけですから、驚いたと思います。でも私の力で、この世を変えたい気持ちが揺らぐことはありませんでした。

そこからの展開は速かった。こうと決めたらすぐに動く、会社員時代の師匠たちの教えが存分に生きていたようです。大学院と研究所で計7年間、仏門を勉強して朝から晩まで1日14時間、勉強づけの毎日。でも心は、10代で行かされた修行よりもずっと充実していました。

その理由は、10年間の社会人経験があったからだと思います。ただ文字面を追う勉強だけではなく、将来の活用方法も並行して考えていました。でも周囲の学生は学者を目指して真面目に勉強している人たちばかり。

「この仏様の教えは、実際の経営ではこう使えるよね」

そんな応用をひたすら並べる私は、学生たちから評判が悪かったようです(笑)。

2011年、仏門と経営学の中間という、特別な立ち位置をもって、私は長福寿寺の第56代の住職となりました。ここまで祖先が培ってきた風習を取っ払い、新しい寺の在り方を提供しています。

その1つに長福寿寺が推し続けている、金運があります。金運は、その人の考え方や行動によって必ず変えられることを、人間コンサルタントでもある私が断言をします。今、年収300万円の人でも、来年には1,500万円になることは夢ではなくて現実です。その方法を紹介していきましょう。

中にはやや厳しい意見もあるかもしれませんが、それが未来永劫の刺激となって、現金となって、あなたの元に戻ってくることをお誓い申し上げます。合掌。

今井 長秀 長福寿寺 第56代住職

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