病院ではなく自宅で最期を迎えたい――「在宅医療のニーズ」が急速に伸びた背景【専門医が解説】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年11月23日 8時15分
(画像はイメージです/PIXTA)
病院で最期を迎える人の割合は、2000年頃に約8割を占めていました。ところが、近年は在宅で終末期に医療を受けるニーズが急増しています。終末期医療を提供する在宅診療医の野末睦氏は、要因として日本人が考える死生観の変化を指摘しています。終末期医療の現在地について野末医師が解説します。
最期は「自宅で過ごしたい」…在宅医療のニーズが高まっている
近年、病院のベッドではなく自宅で最期を迎えたいと考える人が増えています。その背景には、社会の変化に伴って行政が新たな医療のかたちを打ち出したことが挙げられます。その根底には、日本人が抱く「死生観の変化」があるのではないでしょうか。
ここ数十年の間で日本人の死生観に変化がおとずれたのには、2つの要因があると考えています。それを検討するには、日本人がこれまでに「どこで最期を迎えてきたのか」歴史を簡単に振り返る必要があります。
2000年ごろ、病院で最期を迎える人の数は約8割※を占めていました。ところが遡ること約50年前――戦後間もない1950年ごろの日本は、約8割の人が最期を自宅で迎えています。その割合が徐々に逆転しはじめたのが70年代。1900年代の終わりには、自宅で亡くなる人の数はついに2割未満まで減少しています。(なお、このような状況が、先述の行政が新たな打ち出しを行うきっかけとなりました)
※参照:厚生統計要覧(令和5年度)第1編 人口・世帯 第2章 人口動態 第1-25表 死亡数・構成割合,死亡場所×年次別|厚生労働省
“最期の瞬間”に家族は立ち会うことができなかった「病院死」
日本人の死生観に変化がおとずれた1つ目の要因は、こうした病院死の増加です。私が医師として働き始めた80年代の終末期医療の現場は「患者さんの心臓が止まったら、ご家族には外へ出て行ってもらってから、蘇生処置を行う」という方法が一般的でした。そのため、ご家族は亡くなる瞬間には立ち会うことができません。そうしたやり方に、ご家族のなかには疑問や違和感を抱く人もいました。
「もう長くないとわかっていながら、今際の際まで点滴の管や呼吸器に繋がれ、身体を酷使する蘇生処置を受ける必要があるのか」「最期の瞬間、家族がそばにいることができなくていいのか」
さらに時が流れ、終末期の入院患者に関する報道や、病院で家族を看取る経験をした人が増えるにつれてその疑問はますます深まることになります。「病院で最期を迎えることが本当にいいのだろうか?」という問題提起が広まっていき、固定観念に縛られていた日本人の死生観は徐々に変化することとなります。
かつては患者本人ではなく、家族の意志が尊重されていた
2つ目の要因として、医師が患者本人に病名や死期を告知するようになったことが深く関わっているように思います。
80年代は、癌患者に病名を告げることは、完全にタブーとされていました。これは、ある有名な医師が癌におかされている事実を知った際に人生を悲観し、精神を病んでしまったというエピソードがルーツとなっています。「医療に従事している医師ですらそうならば、一般の患者さんならば耐え切れないだろう」と推察されてのことでした。今ならば「癌の恐ろしさを知っている医師だからこそ苦しんだのでは?」という指摘もあるかと思いますが、当時はそのようには考えられていませんでした。
私も例にもれず指導医から「癌の告知はしないもの」と教わりました。ところが、その数年後から告知をしないことに対して「おかしいのでは?」という風潮が生まれました。
きっかけの1つに、とあるアンケート調査があります。「もしも貴方が癌を患ったら、そのことを知らせてほしいですか?」という質問に対して、一般回答は86%、医師のみに回答者を絞ると61%が「知らせてほしい」と回答したのです。
一方で、「家族が癌を患ったら、あなたは病名を告げますか? あるいは告げたいと思いますか?」という質問に対して「告げたい」と答えた人は20%、「告げない」と答えた人は80%に上りました。
すなわち「家族が癌になったら自分は告げないだろう」けれども「自分が癌ならば、知りたい」という、多くの人々の考えが明らかになったのです。
病名や死期は秘匿する時代から、告知する時代へ
私は「このギャップを何としてでも埋めたい」と考えました。なぜなら、当時は患者さんが癌と診断されると「まずはご家族に伝えて、治療方針や本人にはどのように説明するかを打ち合わせする」という方法が一般的だったからです。
たとえば、胃がんを患う患者さんには「胃潰瘍です」と嘘の病名を伝えてさらに「手術をすれば治ります」と説明する。といった形が主流でした。ご家族の多くが抱いていた「本人には癌を告知せず、別の病名を伝えたい」という意向が尊重されていたのです。
本人と家族――告知はどちらが先行しても問題が
一方で患者さんから「先生、私は癌ですか?」と聞かれることがあります。当時から私には「真実を知りたいと言う患者さんには、伝えるべきである」という思いがあったので、真実をお伝えしていました。また、告知を受けた方のなかには「家族には言わないでくれ」という場合があります。そうした申し出をする患者さんは「家族に心配かけたくないから…(言わないでほしい)」という思いでいるのです。
患者本人の意思を尊重することは大切です。ですが、もしご家族に告知しないまま癌が進行してご逝去されたときに、ご家族から「何で言ってくれなかったんですか? 訴えますよ」と言われてしまうような事態に発展する可能性があるわけです。本人と家族、告知はどちらが先行しても問題があるという苦しい状態にありました。
そのため、私はあるときを境に、病名がわかった段階で本人と家族を同じ部屋に呼んで、同時に告知を行うことにしました。
「残された人生をどう過ごしたいか」という問いの誕生
こうした方法が広まったことで、患者さんのなかで「自分は手術や抗がん剤で戦っても、余命いくばくもない。ならば、病院にいることもないだろう」と考える人が増えたのです。
こうした流れは死生観の変化を促しました。人生の残された時間、リミットを知ることで「(残りの人生を)どう過ごしたいか」という問いが生まれたためです。ある人は「住み慣れた我が家で過ごしたい」と思い、ある人は「病院で過ごしたい」と考える、といった選択肢をもつことができます。
昨今の死生観には「患者本人に病名や病状、死期についてそのままお話しするという」という告知方法が、大きな影響を及ぼしていることは間違いないと考えています。こうして生まれた死生観の変化が現在、在宅医療が求められてきている背景にあるのです。
野末 睦 医師、医療法人 あい友会 理事長
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