日本社会で“なかったこと”にされてきた「母親になった後悔」…「いえたなら」に込めた社会への問い<br />
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月2日 11時15分
(C)新潮社
「母親にならなかった後悔」は語られるのに「母親になった後悔」はなぜ語られないのか? 日本で母親になるということとは? イスラエルの社会学者オルナ・ドーナト氏の著書『母親になって後悔してる』(新潮社)が2022年に刊行されたのを機に、日本の「後悔する母親」たちへの取材を開始したNHK記者とディレクターによる『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』が2024年10月に刊行されました。「後悔すること」と「子供を愛していないこと」は同じではない――。同書の取材過程で見えた、母親という役割、社会やメディアの責任、そして「後悔」を言葉にすることの意味について、著者でNHK記者の髙橋歩唯さん(35)とディレクターの依田真由美さん(36)に話を伺いました。
「これって私の母のこと?」「産んで後悔することもあるのかな?」…『母親になって後悔してる』の衝撃
今回の一連の取材のきっかけになった、ドーナト氏による『母親になって後悔してる』は、「もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか?」という質問に「ノー」と答えた23人の女性へのインタビューを元に構成された本で、“Regretting Motherhood (リグレッティング・マザーフッド)”というタイトルで2016年にドイツ語で初めて出版。その後、世界各国で刊行され話題を呼び、日本語翻訳版は2022年3月に『母親になって後悔してる』(新潮社)として刊行されました。
同書のタイトルを目にしたときに依田さんは「これは自分の母のことなのでは?」と真っ先に思ったと明かし、勇気を出して本を手に取って読み進めていくうちに「『(母親になって)後悔すること』と『子供を愛していないこと』は必ずしもイコールではないことが腑に落ちて救われた気持ちになりました」と振り返ります。
「それと同時に、自分が母に『母親』という役割を背負わせていた一因でもあったことに気づきました。『母親なんだから家事をちゃんとやってよ』と押し付けていた部分もあったなと。そしてそれは我が家だけではなくて、日本の多くの家庭で今も起こっていることと思ったので、ぜひ取材をしたいと思いました」(依田さん)
一方、髙橋さんは、30歳を過ぎてから「子供っていいよ」「産める時期は限りがあるから」「後悔しないようにしたほうがいいよ」と声をかけられる機会が増えてモヤモヤしていたときに同書に出会いました。
「『産まなくて後悔する』ことがあるのなら、『産んで後悔する』こともあるのではないか? とふと浮かんだんです。自分の周りの働きながら子供を育てている女性を見ると、苦しそうというか大変そうだなと思うこともありました。何かヒントがないかな? と考えていたときに出会ったのがこの本でした」(髙橋さん)
「子供への影響は?」「少子化を助長しかねない?」局内での反応
『母親になって後悔してる』が日本で刊行された2022年3月から1ヶ月後、髙橋さんはドーナト氏へのインタビューを含めて取材を開始し、5月にはNHKのウェブサイト上で「“言葉にしてはいけない思い?”語り始めた母親たち」として配信。その後、同じテーマに関心を寄せていた依田さんとテレビでの放送を目指して取材を始め、2023年6月に『ニュースウォッチ9』で特集としての放送にこぎ着けました。
一連の取材についてのNHK局内での反応は?「母親になって後悔」という言葉への反発はなかったのでしょうか?
「非常に重要な声だろうという意見がある一方で、この言葉がテレビという不特定多数の人たちが見る媒体で伝えた際にどんなふうに伝わるのか? という懸念の声が上がりました。子供への影響もそうですし、少子化を助長するような言葉だと受け止められないか? という声もありました」(髙橋さん)
しかし、ウェブサイトの記事の最後に感想や意見を募集する「投稿フォーム」には、300件を超す投稿が寄せられました。中には数千字に及ぶ感想もあり、その反響の高さも後押しになり、取材は進められました。
ドーナト氏の日本版とも言える『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』では、母親になって後悔しているという15人にインタビューを敢行。取材で見えてきた日本独特の事情などはあるのでしょうか?
「日本独自の事情かどうかはわからないのですが……」と前置きした上で、依田さんは「日本社会がいかに根強い家父長制にとらわれているかを改めて感じた」と言います。そしてメディアとしての責任も……。
「“子供の面倒を見て、いつも優しい笑顔のお母さん“という理想の母親像を押し付けてきたのではないか? というメディアに関わる者としての反省もあります」(依田さん)
髙橋さんも「母親だけが一人で全部頑張るという構造があるなあと感じました。例えば、他の国であれば夫婦2人で家事や子育てを分かち合ったり、地元のコミュニティの手を借りたりという例もあると思うのですが、日本では地縁のコミュニティがなくなる一方で、母親がどんどん追い詰められているのかな」と分析しました。
「子供を産んでもいいかもしれない」内面の変化
一方で、取材を通して起こった内面の変化もあるといいます。
依田さんは、「私は自分の母親を見て『自分は母にはならない』と思っていたフシがあったのですが、ドーナトさんへの取材を通じて、母親になりたくないというのは子供を産みたくないということではなくて、母親という役割を負いたくないのだと自分の中で気持ちの因数分解ができた気がします。皆さんの声やお話を聞くうちに『完璧な存在ではなくていいんだよ』ということを伝えたいと思ったし、本に登場した方のように『母親』ではなくて『保護者』として子供を持つ選択肢もあるのかもしれないと思ったら、逆説的ではあるのですが、私も子供を産んでもいいかもしれないと思えるようになりました」と振り返りました。
取材まっただ中の2022年夏、依田さんの妊娠がわかり、12月に『クローズアップ現代』でもうすぐ母になる依田さんの視点から「”母親の後悔”その向こうに何が」を放送しました。
ウェブサイトでの配信から同書の刊行まで足掛け2年半の月日が経ちましたが、取材で大変だったことは?
「取材する私たちが『大変だった』というよりも、取材相手の方にすごく負担だっただろうなとは思います。『この話をすること自体が罪悪感を抱いた』とおっしゃっていた方もいます。ただ、みなさん一貫しておっしゃっていたのは、『声を上げることで、私だけではないんだと思ってくれたり、社会に何かを問いかけたりできればいい』と言ってくださったので、その思いをきちんと形にできるように頑張らなければと思いました」(依田)
「話してくださったご本人も取材を受けることで批判がくることを予想していました。それもわかった上で、『だからと言って自分が感じたり、悩んだりしていることをなかったことにはできない』という思いで取材を受けてくださいました」(髙橋)
「いえたなら」に込めた思い
最後に『母親になって後悔してる、といえたなら』のタイトルに込めた思いを聞きました。
「いえたならというタイトルには、裏返せば日本社会はまだまだ『母親になって後悔してる』ことを言えない社会の表れであることも示しています。だからこそ、後悔してもいいじゃないという風潮になればいいなと思いました。それが回り回っていろいろな呪いを解いていくものになるんじゃないかって思うので。社会がもう少し寛容になったり、すべてを自己責任論に押し込めたりするのではなくて、『後悔しちゃうこともあるよね、だからこうしていければいいよね』というふうに社会を変えるきっかけになればいいなと今回の取材を通じて思いました」(依田)
ドーナト氏の本も手がけた担当編集の内山淳介さんも「“いえないという状況“と“いえたら何かが変わってくる“という二つの意味を持たせられると思いました」と明かします。
SNSを開いても「母親になって後悔」という言葉に「だったら離婚すればいいのに」や「子供が可哀想」と非難する言葉も少なくなく、後悔それ自体を受け止める“土壌”があるとは言えません。
「子育てが大変だと声を上げた人たちに対して、今の社会は『そんなの産む前からわかっていたことでしょ?』と迫ってくるのですが、想像していたことと実際やってみて感じたことが違うことはあることですし、『わかっていたでしょ?』の一言で彼女たちの辛さや大変さがなかったことにされていいはずはないと思うんです」(髙橋さん)
「母親の後悔」をゴールではなく、よりよい社会や生き方の可能性の出発点にするために……社会や私たち1人1人がこの言葉をどう受け止めるかが問われています。
THE GOLD ONLINE編集部
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