「酒の販売」が社会的権利を侵害する? …19世紀を代表する経済思想家が語る、禁酒法が持つ“危険性”【165年前の教訓】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月14日 11時15分
画像:PIXTA
かつてアルコール消費を抑制しようとした禁酒法は、社会的影響のみならず、経済にも多大な波紋を広げました。販売の禁止が消費の抑制につながるという理論のもとに制定されたこの法律は、表向きには社会の健全化を目指したものの、その背後には自由と規制のバランスに関する深い議論が存在します。経済活動における個人の権利と国家の介入の限界を考えるうえで、禁酒法が残した教訓とは何だったのでしょうか? 本記事では、19世紀で最も影響力のあったイギリスの哲学者、経済思想家であるジョン・スチュアート・ミルの「自由論」を翻訳した書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル 、その他:成田悠輔 、翻訳:芝瑞紀 、出版社:サンマーク出版)より一部抜粋・編集し、禁酒法を通じて浮かび上がる自由と規制の交錯を探ります。
「禁酒法」が制定されたワケ
イギリスの植民地のひとつと、アメリカの州の半分近くでは、「飲酒の害を防ぐため」という名目で、医療以外の目的でのアルコール飲料の使用が禁止されている。法律の条文には「販売の禁止」と書かれているが、これは事実上、使用を禁止するためにつくられたものだ。
この法律は、制定されたメイン州にちなんで「メイン法」と呼ばれるが、実施するのが困難だったため、メイン州を含む多くの州で撤廃された。そうした出来事があったにもかかわらず、イギリスでも同じような法律を制定しようという運動が始まった。現在も、“自称”博愛主義者たちが熱心にこの運動に取り組んでいる。
その結果、禁酒法制定のための「連合」と称する団体が結成された。この連合の幹事と、政治家のスタンリー卿とのあいだでやりとりされた書簡が公開されたことで、連合の悪名は広く知られることとなった。
スタンリー卿の信念は、「政治家の意見は原理原則にもとづくものでなければならない」というものだ。彼のように考えられる立派な政治家は、イギリスにはめったにいない。公の場でさまざまな資質を発揮し、自分の希少価値を示してきた彼だが、公開書簡においても期待を裏切らないみごとな論理を展開した。
一方、連合の代表者である幹事は、「解釈をねじ曲げれば、偏見や迫害を正当化できるような原理が認められることを心から残念に思う」と述べ、そうした原理と連合の原理のあいだには「越えられないほど大きな障壁」があると指摘した。また、「思想、意見、良心にかかわることはすべて、法律の領域の外側にあると私は考える。反対に、社会的な行為、習慣、人間関係にかかわることはすべて、個人ではなく国家に与えられた裁量に従うべきものであり、したがって法律の領域の内側にある」と論じた。
禁酒法の問題は「販売者の自由を侵害すること」ではない
その書簡では、ふたつの分野のどちらでもない第三の分野である「個人的な行為と習慣」についての言及はない。しかし、飲酒という行為が属するのは、まさにこの第三の分野だ。
アルコール飲料の販売は商業であり、商業は社会的な行為である。だが、禁酒法の問題は、販売者の自由を侵害することではない。消費者の自由を侵害することだ。酒が手に入らないような状況をつくることは、飲酒を禁止するのと変わらないからだ。
ところが、連合の幹事はこう主張した。「私は一市民として、他者の社会的行為のために自分の社会的権利が侵害されたときには、法律によってそれを抑制する権利を主張する」。
「社会的権利の侵害」という恐ろしい概念
彼は「社会的権利」を次のように定義した。
「私の社会的権利を侵害するものがあるとすれば、酒の販売がまさにそれにあたる。酒はいつでも社会に混乱をもたらし、その混乱を助長する。それによって、私の最も重要な権利である“安全”を損なっている。酒の販売は、利益を得るために貧困層を生み出し、その貧困層を支援するために税金を支払う必要を生じさせる。それによって、私の“平等”という権利を損なっている。
酒のせいで、私はどこに行っても危険に取り囲まれる。また、酒は社会を弱らせて堕落させるので、他者と支援し合ったり、交流したりするのがむずかしくなる。つまり、私の“道徳と知性を自由に成長させる権利”までもが損なわれている」
「社会的権利」というものが、これほど大胆な言葉で定義されたのは初めてだろう。幹事の主張は、要するにこういうことだ。
「すべての個人は社会的権利をもっている。それは、自分が義務だと思うことをあらゆる面で完璧に果たすよう、自分以外の全員に要求する権利である」
そして、この義務を少しでも怠った人にはこう言うのだ。
「あなたは私の社会的権利を侵害している。だから、そのような行為をなくすために、法律を制定する権利が私にはある」
このような常識外れの原則は、自由への干渉そのものよりはるかに危険だ。この原則に従えば、自由を侵害する行為はすべて正当化される。もはや、人はどんな自由も主張できなくなってしまう。唯一の例外は、心のなかで意見をもつ自由ぐらいだろう。しかし、その意見を誰かに話すことは許されない。もし、私にとって有害な意見を誰かが口にすれば、その行為は、私の“社会的権利”のすべてを侵害することだと言えるからだ。
連合の幹事の考え方に従えば、人は他者に対して、完璧な道徳心、完璧な知性、さらには完璧な肉体まで求める権利があることになる。そのうえ、何をもって「完璧」とするかは、要求する側の基準にもとづいて決められるのだ。
「安息日に関する法律」は自由を侵害している
個人の「正当な権利」に対する「不当な干渉」として、もうひとつ重要な例がある。
「いつか危険をもたらすかもしれない」という類のものではなく、すでに私たちの社会に存在し、長きにわたって自由を侵害してきたものだ。すなわち、安息日に関する法律である。
ユダヤ教徒は、よほどの緊急事態でないかぎり、週に一度は日常的な仕事を休まなければならない。ユダヤ教徒ではない人々にとっても、この習慣は有意義なものになるだろう。
だが、この義務が守られるためには、労働者階級全体がこの習慣に合意していなければならない。なぜなら、誰かひとりが働いたら、ほかの人たちにも働く義務が生じるからるからだ。法律を制定し、ほとんどの産業に休日を設けることを義務づければ、労働者たちは「その日は全員が休みをとる」と信じられるようになる。その観点から考えると、安息日を義務づけるのは正当なことだ。
しかし、全員がこの習慣を守ることがほかの労働者の利益につながらない場合、その正当性は失われる。つまり「暇な時間を使って仕事をしよう」と決めて働いている人を強制的に休ませるのは間違っているのだ。
また、安息日のせいで誰かの楽しみが失われることも許されない。実際、娯楽とは誰かの労働のおかげで生まれるものだ。多くの人の娯楽のために少数の人が働くことには価値がある。その娯楽が、人々の英気を養うものだとしたらなおさらだ。ただし、その少数の労働者には、仕事を「選ぶ」自由と「やめる」自由が与えられていなければならない。
労働者は、「誰もが日曜日も働くようになれば、6日分の給料で7日間働かされることになる」と考えるかもしれない。たしかに、その考えは正しい。しかし、日曜日に他者の娯楽のために働く人は、それに見合った給料をもらえるはずだ。お金よりも休みが欲しいなら、違う仕事を選べばいい。別に私たちは、特定の職業に就く義務など負っていない。あるいは、日曜日に働かなければならない人に別の配慮をすべきだというなら、日曜日の代わりにほかの曜日を安息日にすればいいのだ。
宗教の名のもとに広がる抑圧とその危険性
日曜日の娯楽を禁じる唯一の方法は、宗教によって禁止することだ。しかし、宗教をそんなふうに用いるのは許されない行為であり、私たちは断固として反対しなければならない。ローマの皇帝ティベリウスが言ったように、「神に逆らった者は神によって裁かれる」べきだ。社会やその代表者が「それは人間にとって有害ではないが、神に背く行為だ」などと言って、その行為を神に代わって裁くことができるのだろうか。いまのところ、そういう行為を正当化できる根拠は存在しない。
「人は他者に宗教心をもたせる義務がある」という考えは、人類のあらゆる宗教的迫害の基礎になっている。その考えを認めるのは、すべての迫害を認めるのと同じことだ。
鉄道が日曜日に運行するのをやめさせようとする活動家も、日曜日に美術館が開館することに反対する活動家も、かつて迫害を行った人々ほど残酷ではない。だが、背景にある考え方は、迫害者のそれと変わらない。すなわち、「おれの宗教で許されていないことは、おまえの宗教では認められているとしても、けっして許さない」という強い感情なのだ。
その人たちの考えに従うなら、神は異教徒の行動を嫌悪するだけにとどまらない。異教徒の行動を放っておく人も罪人と見なされてしまう。
ジョン・スチュアート・ミル
政治哲学者
経済思想家
※本記事は、約165年前に出版された19世紀を代表するイギリスの政治哲学者、経済思想家ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」を基にした新訳書籍『すらすら読める新訳 自由論』(著:ジョン・スチュアート・ミル、その他:成田悠輔、翻訳:芝瑞紀、出版社:サンマーク出版)からの抜粋です。
この記事に関連するニュース
-
富裕層の贅沢は許されない?…大衆の感情が“経済に与える影響”【19世紀の経済思想家が語る】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月10日 11時45分
-
池上彰「中東情勢を理解する第一歩」…エルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地になった理由
プレジデントオンライン / 2024年12月25日 18時15分
-
[KWレポート] 「忘れられる権利」扱う“デジタル葬儀屋”なる仕事 (2)
KOREA WAVE / 2024年12月21日 7時0分
-
暫定政権下のシリア、キリスト教徒が礼拝 学校も再開
ロイター / 2024年12月16日 10時34分
-
最悪「廃業」に追い込まれる病院が続出する…「マイナ保険証のオンライン資格確認」義務化で起きる恐ろしいこと
プレジデントオンライン / 2024年12月16日 7時15分
ランキング
-
12025年「ポイント還元」界隈に起きている4大異変 高還元率を競い合う「経済圏」が乱立している
東洋経済オンライン / 2025年1月14日 13時0分
-
2今売れている「発熱インナー」おすすめ3選&ランキング 1000円台から買える! ミズノのモデルや保温性×消臭性の高機能インナーなど【2025年1月版】
Fav-Log by ITmedia / 2025年1月14日 16時20分
-
3バイトをしているコンビニでは廃棄商品の持ち帰りは禁止されています。もう捨てる商品なのになぜダメなのでしょうか? 捨てるほうがもったいない気がします。
ファイナンシャルフィールド / 2025年1月14日 5時0分
-
4【ニチガク倒産は序章に過ぎない】SNSの更新が止まったら要注意? “ヤバい予備校”の見分け方
オールアバウト / 2025年1月14日 21時5分
-
529歳男性が“人生初の彼女”と入ったお風呂で大失態…「謝罪LINEもブロックされました」
日刊SPA! / 2025年1月14日 15時54分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください