1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

石黒賢、父・修さんは日本初のプロテニスプレーヤー「長嶋さんのような感覚でやっていると思っていたら…」

スポーツ報知 / 2024年10月14日 21時29分

石黒賢

 俳優の石黒賢(58)が14日放送のNHK「ファミリーストーリー」に出演した。

 8年前に死去した父・修さんは日本初のプロテニスプレーヤー。幼い頃はヘビを振り回して遊ぶわんぱくぶりだったという。賢の祖父・九一(くいち)さんが三菱電機長崎製作所に勤めていたため、1945年8月9日の長崎への原爆投下を体験したが、かろうじて熱線は免れた。

 「被爆した話は父は生前、語ったことはあまりなかったですね。『山の陰にいて直接(熱線を)浴びなくて、俺は助かった』くらいしか言わなかった」と振り返った賢。

 兵庫・甲南中時代からテニスのうまさとイケメンぶりで有名だったという修さん。高校でインターハイと全日本ジュニアの二冠。進学した慶大テニス部でも大学2連覇を果たした。

 大学卒業後は実業団選手として活躍。ついたあだ名は「庭球界の三船敏郎」だったというが、外国選手に中々勝てなかった。

 しかし、デビス杯でアジアNO1選手に勝ったことをきっかけに飛躍。前年のウインブルドン王者・ニール・フレーザーを破るまでになった。

 1966年、次男として誕生した賢にもテニスを通じて子育てするかたわら、72年には仲間たちと日本プロテニス協会を設立。スポンサー集めに励み、全国でテニス教室を開くなど、若い選手を育てる場を作り上げた。

 修さんの足跡をたどったVTRを見届けた賢は「だいぶ知っている話で」と苦笑しながらも「父が亡くなった後に遺品を整理していたら、手帳がたくさん出てきました。相手選手の特徴を事細かに、それこそ『サーティーオールになった時はバックにミスが出る』とか書いてあったんです」と明かすと「子どもとしては長嶋(茂雄)さんのような感覚でやっていると思っていたら、野村(克也)さんみたいなデータ中心のIDテニスをやってるとは思ってなかったんですよ」と続けた。

 その上で「全国を飛び回っていて、本当に家にいなかった。親父に遊んでもらったという記憶がないんですよね」と振り返っていた。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください