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【センバツ】埼玉・浦和実が春夏通じて初の甲子園へ

スポーツ報知 / 2025年1月24日 16時46分

初のセンバツ出場が決まり喜ぶ浦和実の選手(カメラ・秋本 正己)

 第97回センバツ高校野球大会(3月18日開幕・甲子園)の選考委員会が24日、大阪市内で開かれ、浦和実(埼玉)が関東地区代表に選ばれ、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。

 一足先にサクラが咲いた。さいたま市の同校ではこの日、高校の入学試験が行われていたが、野球部には初の甲子園出場という“合格通知”が届けられた。1975年4月の創部から50年。待ちわびた歓喜の瞬間が訪れると、校内で待機していた50人超の部員は喜びを爆発させた。

 何度もはね返されてきた強豪私学の壁を打ち破った。埼玉といえば浦和学院、花咲徳栄の甲子園優勝校に春日部共栄、聖望学園といった同準優勝校、さらにここ数年は昌平、山村学園といった新興校の躍進が目立っていた。全国から有力選手が集まるこれらの学校に比べ、同じ私学といっても浦和実の部員の多くはさいたま市内、もしくは川口、草加といった近隣の中学出身。県外生も電車通学が可能な地域から通っている。学校から自転車で約40分の市内緑区に専用球場を持つが、寮はなく限られた時間で練習。その分、週末を練習試合にあてて、新チーム結成後は48試合をこなし35勝10敗3分け。実戦感覚を養い、昨秋の県大会ではノーシードながら一戦ごとに力をつけ、県大会準々決勝では浦和学院を4―0で撃破。勢いに乗って埼玉を制すると、24年ぶりに出場した秋季関東大会では4強進出。準決勝で横浜に敗れたが、2―3の惜敗。初の甲子園に当確ランプを灯した。

 柱になったのがエース左腕・石戸颯汰(2年)投手だ。特長は投球フォーム。176センチ、64キロとさほど大柄でないが、上体を折り曲げてから右足を高々と上げて真上からリリース。最速は120キロ中盤ながら、80キロ台のカーブ、チェンジアップで打者を幻惑する。県大会準々決勝で浦和学院を完封し、関東大会準決勝では横浜に逆転負けを喫したものの、8回を投げて被安打8、3失点とこらえた。控えの左腕・駒木根琉空投手(2年)は球威なら石戸以上。先発、救援どちらでもOKだ。打線は4番の三島陽之介(はるのすけ、2年)内野手、5番の野本大智捕手(2年)が軸。7番の橋口拓真内野手(2年)も練習試合、公式戦を合わせた51試合で打率3割9分3厘を記録するなど、上位下位とムラがない。

 校則に反しないことを条件に、新チームから丸刈り以外の髪型が可能に。昨年3月に部の公式インスタグラムを開設し、部の活動を広めるなど年ごとにアップデートを続ける。同校唯一の現役プロ野球選手の西武・豆田泰志投手も「母校が甲子園に出て、僕の名前が出た時にいい成績を出せれば」と母校の活躍が力になっているという。同校OBで西武の平野将光ファームマネジャーと差し入れをするつもり。いろいろな人たちの思いを背負って、初の甲子園で大輪のサクラを咲かせる。

 ◆浦和実 正式名称は浦和実業学園高等学校。1946年5月、九里總一郎氏が私学を創立し、1963年4月、浦和実業学園商業高校に。74年4月に普通科課程を新設し、75年4月から現校名に。普通科、商業科に2762人(男子1620人、女子1142人)が学ぶ。学校所在地はさいたま市南区。岡田慎一校長。野球部は1975年4月に創部され、現在の部員は2年生35人、1年生16人の計51人。甲子園出場はなし。田畑富弘部長、辻川正彦監督。主なOBに小原沢重頼(元巨人、ロッテ、現同校コーチ)、平野将光(元西武、現西武ファームマネジャー)、豆田泰志(西武)。

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