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布団はダメ:押入は茶の湯のホームバーだった/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2019年1月21日 6時31分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

押入に布団をしまってる人! それは間違っている。あれは、茶碗をしまうところだ。だいいち、偉そうな床の間の隣に布団を入れるなんて、おかしいと思わなかったのか。

室町時代の書院造だと、西の窓際が机、その右横が床の間、そして、その手前が棚。この棚に、眠気覚ましに飲む茶の道具を飾った。といっても、見せびらかすほどのものでなければ、襖で隠した。これが、押入。だから、いまで言えば、それはホームバー。茶碗や茶釜でなければ、エスプレッソマシンとか、カクテルのセットとか、湯沸かしやミニ冷蔵庫とかをしまっておくところ。

茶の歴史も、伝承伝説で話を盛りすぎ。天皇が、将軍が、禅僧が、とかいうのは、近年、どうも嘘くさいのがわかってきた。いわゆる抹茶が宋(中国)から入ってくるはるか昔から、煎じ薬、つまり、薬草を煮出したハーブティーのようなものが日本にもあって、これが寺社の祭礼で、滋養強壮に効く、とか口上を述べながら、テキ屋(神農系の怪しい行商人)の露店で売っていた。

一服一銭。これが売り文句。この「一銭」というのは、本来は煎じ薬の重さ、一貫の千分の一、3.75gのことなのだが、庶民には通貨の一銭=一文と思われ、江戸時代まで五百年間、値段が変わらなかった。ちょうどイタリアのバール(立ち飲み喫茶店)のエスプレッソが、いまでもどこでもたいてい1ユーロのようなもの。

茶席というと、ろくに窓も無い暗い茶室で緊張を強いられるようなイメージがあるが、こんな露店の時代には、まだ茶室など無い。緋毛氈(赤いフェルト)すら無い。客は、立ち飲み、歩き飲み。立礼は明治の京都博覧会で裏千家十一世が始めた、などと言う人もいるが、室町時代は、亭主も立礼が当たり前。当時、すでに御園棚のような、アウトドアでも湯が湧かせる、ヤカンと火鉢がセットになった銅壺(どうこ)があって、これをボテ振(棒の前後にぶら下げる)でどこへでも持っていって、そこに茶店を出した。

そのうち、半俗半僧のような流れ坊主も、テキ屋と競って、寺社境内で、本格的な抹茶を売り出す。こうなると、いかにショーアップして道行く参拝客にアピールし、立ち止まらせるかが勝負。テキ屋がメカニカルな御園棚を無骨にガチャガチャ見せつけている様子を横目に、坊主は、なにも無いところに運び出前でちゃちゃっと道具を並べ、茶筅の音も軽やかに、香り高い茶を点(た)てる。まさにバーテンダーがボトルを振り回しカクテルを組み立てるがごとし。つまり、その後に精神性を高めた茶道も、元をたどれば、南京玉すだれや蝦蟇の油売りと同じ、一種の大道芸。

この時代、戦乱の世を嫌って、こういう流れ坊主、世捨て人のような連中が多く出てくる。彼らは、日頃は都を離れ、うらぶれた山中に草庵を結んで暮らしていた。珠光(しゅこう、1422~1502)も、そういう一人。いまさら書院造に飾るような茶道具は趣味に合わず、かといって、茶道楽は止められず、方丈の間、寝床の横の押入棚に道具を揃え、一人で、また、来客と、茶を楽しむ。かれらの多くは、会席を風流にもり立てる連歌師でもあり、歌を継ぐように茶を廻した。

この一方、都で連歌趣味、茶道楽に興じていた公家や将軍は、急激に没落していった。しかし、彼らは言わばパーティ商法、商材商法で、歌席や茶席を設け、田舎武家や新興商人の相互紹介を買って出て、「秘伝」や「名物」を法外な高値で売りつけた。こういう中で成り上がってくるのが、次世代の武野紹鷗(1502~55)。僧とも、連歌師とも、茶人とも、武具商ともつかぬ時代のロビイスト。そのうち、武家や商人がみずから交流パーティを開くようになると、その中心に座り、世捨て人を形ばかりまねた「茶室」をあつらえるようになる。

そして、千利休(1522~91)。堺の塩魚倉庫を営む名家だったようだが、父も祖父も亡くし、若いころは生活にも苦労したとか。そのせいか、紹鷗のようなゴージャスな茶よりも、珠光の枯淡の茶に惹かれていた。しかし、時代がそれを許さず、信長、秀吉に仕えて、彼は紹鷗以上の茶坊主として、戦乱の時代を走り廻らされることになる。これに続くのが、武士で茶人の古田織部(おりべ、1543~1615)。やはり、政治の波に翻弄され、師同様、詰め腹を切らされることになる。

いずれにせよ、茶の湯の一統など、後からとってつけたもの。室町から戦国にかけて、北山金閣のような奇天烈度派手なバサラ(南蛮、伊達、歌舞伎)と、東山銀閣のような幽玄有情で燻し銀のワビ、そして、後の小堀遠州(1579~1647)が好むような工芸図案的で無機的なキレイサビの三つの趣味が交錯しており、「○○好み」としてマスターピースとなる利休や織部ですら、実際は、その時々にこれらの趣味の間を大きく揺れ動いている。ただ、領地の増やせない日本にあって、その後、茶の湯は、結局、名物の報賞と鑑賞へと引っ張られていってしまった。しかし、客より碗を尊んで、なにが茶か。茶も点てずに飾られる名物とは、なにものか。

押入には、茶道具。でないまでも、押入の隅、戸棚の上に、ミニバーを。エスプレッソマシンやドリッパーでもいい。サイフォンなんて、さらにオツ。それで、カクテルでも、日本酒や焼酎でも、コーヒーでも、ひとり、心静かに楽しむ。こんな時代だからこそ、それが秘密の自分の押入。うまい菓子、うまい肴が手に入ったら、気軽に友人知人を招いて一席。そのとき、お気に入りのやきものやグラスがあれば、話もはずむ。そんな顔を思い浮かべながら、やきもの市、骨董市へ足を運んでみてはどうだろう。存外な出物に出会えるかもしれない。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学、『百朝一考:第一巻・第二巻』などがある。)

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