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所沢駅前に巨大商業施設が出現、そこは昔「電車の工場」だった

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年4月28日 6時20分

 ただし、当時は新車をつくれるほどの資金も物資もない。国が国鉄と同型の車両を造って私鉄に割り当てるという状況だった。西武鉄道はそんな割り当てを待てないと、各地にある被災車両を集めて修繕し、電車を仕立てた。この経験が職人たちの技術力を高めていく。仕立てた電車や貨車の修繕や点検も行った。そのなかには西武鉄道の歴史で有名な「人糞貨車」もあった。西武農業鉄道は沿線の食糧増産を使命としており、都心で集めた人糞を農村部に輸送していた。西武鉄道も引き継いだ人糞輸送は1951年に終了した。

 復興社所沢車両工場は、国鉄から払い下げられた木造電車を鋼製車体に改造する工事を手がけており、その合間に西武山口線の前身となる「おとぎ電車」のバッテリー機関車と客車も製造している。また、木工、建設機械、自動車販売などの会社や工場を合併しつつ、建設機械や重機、ヘリコプターの修繕や点検も行っていた。西武園ゆうえんち・としまえんの遊戯物の点検修理も手がけたという。

●珍しい「鉄道会社直営製造工場に」

 1954年になって、ついに新規設計による完全新製車両として「501系電車」を完成させた。前面2枚窓、片側3扉、窓の上下の補強を内部に仕込んだスマートな姿が特徴だ。ここから1999年までの45年間にわたり、西武鉄道の新型電車を生産した。1961年に復興社は西武建設に社名変更し、1973年に車両工場部門が西武鉄道に移管され、西武鉄道直属の車両製造工場になった。国鉄も含め、鉄道会社は車両を製造会社から購入する方式が主流だけれども、西武鉄道は珍しく、自社で車両を製造する会社だった。

 特に1959年に製造し、451系電車で実用化した「ST式扉開閉機構」は特許を取得し、多くの鉄道会社で採用された。空気シリンダーとゴムベルトを使って、両開きのドアを1つの機械で開閉できる仕組みだ。これは電動式が開発されるまで長い間主流となっていた。

 西武鉄道の路線が延び、輸送力を増強するため多数の新造車が必要になると、所沢工場だけでは足りず、他社の製造車両も増えてくる。初めて一部の編成を他社に発注した電車は初代レッドアローの5000系だった。現在、アニメシアターXなどで放送中のアニメ『終末トレインどこへいく?』に登場する新2000系電車も、所沢車両工場と東急車輌(現・総合車両製作所横浜事業所)でつくられた。アニメに登場する2両編成は東急車輌版だ。

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