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東横線・幻の駅「新太田町駅」と、かつて「3つ」存在した神奈川駅

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年12月28日 7時5分

 嘉右衛門は鉄道との関係も深く、新橋―横浜(現・桜木町)間に敷設された日本初の鉄道建設工事に際し、力を尽くしている。袖ヶ浦とよばれる深い入江で工事の難所とされた、現在の神奈川区青木町付近から桜木町駅(初代横浜駅)手前までの海面埋め立て(築堤)を請けおい、その工事を高島山(当時は大綱山とよばれた)から指揮監督した。

 嘉右衛門によって造成された埋立地は「高島町」と命名され、今もその名を残している。なお、高島山の頂上部にある「高島山公園」には、嘉右衛門を顕彰する「望欣(ぼうきん)台の碑」が立てられている。

 実業界から身を引いた嘉右衛門が、かつて埋め立て工事を指揮したこの高台に大規模な山荘を築き、横浜の繁栄する様子を望みながら、「ひとり欣然(きんぜん)として心を癒やした」(「望欣台の碑」の説明板)ことに由来するという。

●3つも存在した神奈川駅

 高島山トンネルを通り抜けた先には、かつて東横線の神奈川駅が存在した。1926年2月に東横線(当時は東京横浜電鉄)が、丸子多摩川(現・多摩川)-神奈川間で開業したときの終点駅であり、省線(現・JR東海道線)の神奈川駅との接続を図った。この東横線の神奈川駅も、省線の神奈川駅も後に廃止され、現存しない。どんな駅だったのだろうか。

 まず、省線の神奈川駅は、1872年の新橋―横浜(現・桜木町)間の鉄道開業時に、途中駅として設置された駅である。場所は青木橋と現在の横浜駅の中間付近だった。しかし、その後、横浜駅が1915年8月に高島町へ移転(二代目横浜駅)し、さらに1923年9月の関東大震災で二代目横浜駅舎が焼失した後、1928年10月に三代目となる駅が現在の横浜駅の場所に開業。この三代目横浜駅との距離が近すぎたため、神奈川駅は廃止された。

 東横線の神奈川駅は、1927年の地形図を見ると、当初は省線・神奈川駅のすぐ西側に設置されていたことが分かる。だが、開業から2年半後の1928年10月に省線の神奈川駅が廃止されると、高島山トンネル出口付近に場所を移された。その後、前述の新太田町駅と同様、戦時中に空襲で被災して営業休止後、1950年に廃止されている。

 なお、京浜急行電鉄には、いまも神奈川駅が存在する。京急電鉄の神奈川駅は、1905年12月に京浜電鉄(現・京急電鉄)が神奈川まで延伸された際に設置された神奈川停車場前駅が、その起源である(後に神奈川駅に改称)。この当初の神奈川駅は後に廃止され、代わりに青木橋駅が京浜神奈川駅、さらに神奈川駅へと改称され、現在まで存続している。

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