1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

西友の売却に見る「総合スーパー」の終焉 かつてダイエーと争った“王者”の行方は?

ITmedia ビジネスオンライン / 2025年2月4日 8時0分

 イトーヨーカ堂の改善施策として公表されている、食品特化やアパレル撤退という目標も、前述の“食品+日用品特化”の延長線上にある。そしてそれは、総合スーパーが“食品+日用品特化”のスーパーとなり、非食品の部分をいかに消費者に支持されるテナントで構成できるかが生き残りのカギとなることを意味している。

 疑問があるとすれば、こうした転換は地方ではすでに20年前から行われていたにもかかわらず、なぜ今ごろそんな話が出てくるのかということだ。この理由は首都圏と京阪神の立地環境が、その他の地域と異なることに起因する。

●大都市圏で転換が遅れたワケ

 1980年代ごろ、地方では車の普及によって電車やバスなどの公共交通の衰退が進行した。さらに2000年代以降は女性ドライバーの増加と軽自動車の普及が相まって、地方では大人1人に1台ずつ車があることが一般的になった。

 その結果、日常の買い物は車で行くようになったため、駅やバスターミナルを軸とした中心市街地は交通のハブではなくなってしまった。そのため、地方ではそれまで百貨店や総合スーパーがあった中心市街地から客足が遠ざった。こうした流れを受け、総合スーパーも中心市街地の店舗を閉め、郊外の幹線道路沿いへと移行し、スクラップ&ビルドが急速に進んだのである。地方都市の駅前から百貨店や総合スーパーが消滅していったのには、こうした背景があるのだ。

 しかし、首都圏や京阪神ではこうした変化は緩慢だった。人口密度や公共交通の充実度が高かったこの地域では、買い物のための移動手段が車依存とまではならなかったからである。

 首都圏や京阪神では細かく張り巡らされた鉄道網を軸に、駅からのバスや自転車、徒歩で生活できるエリアに多くの人が住んでいる。車を持たない人も多く、駅のハブ機能は失われなかった。そのため、今でも駅前が最高の商業立地であり、新たな投資を必要とするスクラップ&ビルドをしなくても何とかなったのだ。こうした背景もあり、1970~80年代に出店した駅前の総合スーパーは、最近まで多くが生き残っていた。しかし、50年も経過すると店舗自体が老朽化し、周囲の幹線道路沿いにも少しずつ競合施設が増えてきた。そのため、大都市でも郊外寄りの店から大規模改装や閉店が増えているのである。

●“地の利”がなくなった今、総合スーパーに終焉の時が迫る

 イトーヨーカ堂が大都市郊外でも大量に閉店したことがニュースになっていたが、その大半が1970~90年代にできた、まさに「前世紀の遺物」であった。首都圏や京阪神でも、店舗がまだ使える場合は上層階をテナント化し、食品スーパーとして残っているが、老朽化した店舗はその役目を終えた。実際、閉店する総合スーパーを利用していた周辺住民も、上層階の非食品売り場の利用頻度はかなり低かったはずだ。大都市部の西友やイトーヨーカ堂などの総合スーパーが今まで存続できたわけは、ひとえに“地の利”があったからなのだ。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください