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「山奥ニート」という現代の遁世 棚園正一さんに聞く“人生の心の保険” 「いろいろな生き方があって良い」

ねとらぼ / 2024年6月29日 12時0分

棚園 石井さんとも話したことがありますが、山奥ニートの舞台である共生舎の雰囲気は、自分が16歳の頃に通っていたフリースクールにどこか似ています。凝り固まっていた価値観を「いろいろな生き方があっていい」と解きほぐしてくれた場所です。

 取材すると山奥へやって来る人たちの中には、“電池切れ”のような感じでやってくる人たちもいましたが、その人たちも最初は、ただぼーっと何もせずに過ごしていても、そのうち自然と何かをやり始めて。世間で言う“ニート”のイメージとはかけ離れています。

 でも、それを僕は「復活」だとか「更生」だとか、「乗り越えた」なんて言葉で表現したくはなくて。その時間も、その人の物語の中で必要な一部だと思います。

 良い悪いなんてなくて、全部でひとつの物語。それぞれの人生模様を取材しつつ、ある部分だけを切り抜いて、人と比べるものではないなとあらためて思いました。

●鳥山明さんとの出会いと別れ、棚園さんに去来したもの

 棚園さんと長く交流があり、大きな励みや影響を与えた漫画家・鳥山明さんの訃報は記憶に新しい。棚園さんは多くを語っていないが、その心中は察するに余りある。鳥山さんは生前、同作を読んでいたという。

棚園 最後に鳥山先生にお会いしたのは2022年12月でした。

 その頃、山奥ニートは第4話「ニート、シカを捌く」まで出来上がっていて、それを読んでいただいたんです。

 鳥山先生は、画面に抜きがあるといいとアドバイスをくださったり、作中のキャラをみては「へぇーいろんなやつがいるんだなー」とか、「ひえ~、このおじいさん容赦ないなー」なんて言っていて。読み終わると「え!? もう終わり? 結構面白いじゃん。早く続き読みたいな」とおっしゃってくれました。

 こうして思い出すと、本当に少年みたいな感想で悟空みたいですね。

 13歳の時にはじめてお会いした時のことは今でも鮮明に覚えています。

 先生のお宅の玄関の扉が開いて「いらっしゃーい」って迎えてくださった時の先生の表情や声、そのときの天気や空気の匂いまで。あの日から29年、僕の人生は大きな太い道で続いている感じがします。

 先生とは、1月にメールでやり取りをさせていただいたのが最後になりました。3月にお会いする予定もあり、描き終わった山奥ニートも読んでいただこうと楽しみにしていました。かなわなかったのが残念でなりません。

 ずっと落ち込んでいたのですが、しばらくしてから先生の奥さまとお話しさせていただく機会がありました。

 その中で「彼の中で棚橋くんも忘れられないひとりになってるはずだから」と。

 こちらが救われました。自分だけでは、ずっと長く悲しい気持ちを引きずって、なかなか抜け出せなかったかもしれません。

 鳥山先生は僕にとって、目指すべき大人でした。

 もちろん同じようにはなれませんが、”こうありたい”と思える指針をいただけたことは僕にとってかけがえのない財産です。

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