【NATO加盟で「西側」目指した「ジョージア」元大統領】~日本政府も支援を~
Japan In-depth / 2015年5月6日 11時0分
シルクロードの最西端あたり。カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方に旧ソ連の「グルジア」共和国はある。「カスピ海ヨーグルト」の発祥地といえば、わかりやすいかもしれない。その「グルジア」の国名が「ジョージア」に変わった。世界の多くの国々と同じように日本政府の全ての公文書などでロシア語名「グルジア」から英語名「ジョージア」へ変更される。しかし「グルジア」には、もうひとつの悲願がある。隣接するロシアの脅威に対する安全保障として北大西洋条約機構(NATO)への加盟である。
「グルジア」という呼び名はロシア語に由来し、「ソビエトに占領されていた時代の呼び方」だとして、グルジアの首脳は、英語の「ジョージア」にしてほしいと、世界各国に訴えてきた。現在、国連加盟国の約9割にあたる約170ヶ国が「ジョージア」を使っている。「グルジア」は日本、旧ソ連諸国や中国など約20カ国と少数だった。北方領土問題を抱える日本はロシアに腐心してか「ジョージア」改名を躊躇ってきたが、昨年11月に来日したマルグベラシビリ大統領からの強い要請を安倍首相が受け入れて実現した。
ソ連の独裁者、スターリンの出身地としても知られる「ジョージア」だが、2003年の「バラ革命」、2008年に南オセチアをめぐる武力衝突の末、ロシアと外交関係を断絶するなど「親米反露」路線が強まっている。しかし「反露」感情は旧ソ連の構成国だった時代から根強い。併合された1921年から崩壊した1991年まで「占領された70年間」と呼ぶほど民族意識が高く、第二次大戦が始まると、ソ連からの独立運動に着目した日本陸軍が民族運動を支援する形で独立派と「対ソ」インテリジェンス工作を行うほど「グルジア」は現在のチェチェンのように、クレムリンには「弱い脇腹」だった。
ソ連崩壊後、急速な西欧化が進み、ロシアの影響力が低下した「グルジア」は一貫してロシア離れによる国造りを進め、カスピ海石油開発を切り札に欧米との関係強化を打ち出した。バルト三国と同様に外国語教育も、ロシア語から英語に切り替え、子ども達は日本などの西側諸国と同様、第一外国語として英語を学んでいる。だが英語の国名表記とともに西側に求めて来たのはNATOと欧州連合(EU)加盟だった。
99年2月、「グルジア」大統領だったエドゥアルド・シェワルナゼ氏からNATO加盟の意向を聞いた。ソ連の外相として冷戦を終結させた立役者のシェワルナゼ氏は、95年に祖国に戻り、指導者の道を歩んでいた。94年に隣国アゼルバイジャンが国際石油資本と共同開発を始めるや、中央アジアから欧州への回廊となる「グルジア」は世界から熱い視線を集め、日本も訪問することになり、単独会見となった。
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