[林信吾]【ロンドンのJJエリアを知っていますか?】~ヨーロッパの移民・難民事情 その4~
Japan In-depth / 2015年10月22日 11時0分
私はロンドンで、JJエリアと呼ばれる地域に住んでいたことがある。
……などと突然聞かされても、一体なんの話だ、と思われることであろう。
ロンドン北西部、ゴールダーズ・グリーンという街だが、ここはもともと、ユダヤ人街であった。ヨーロッパ大陸の古都で、強権的に生み出されたゲットー(ユダヤ人居住区)とは違い、自然とユダヤ人が集まるようになったものらしい。
大体において、移民と呼ばれる人たちは、まとまって住む傾向にあり、東京の例で言うと、上野界隈は昔から在日コリアンが多く住むことで知られていたが、昨今コリアン・タウンあるいは韓流タウンと称される新大久保は、実はニューカマーと呼ばれる、新たに日本にやってきた韓国系住民が多いそうだ。私見ながら、この、まとまって住む傾向というのが、移民を取り巻く問題(たとえば在日の政治参加)にも微妙な影を落としていると思うが、今回の主題はそのことではない。
なぜゴールダーズ・グリーン界隈がJJエリアと呼ばれるかと言うと、もともとユダヤ人街だったところに、日系企業の駐在員が多数住むようになったからである。読者ご賢察の通り、JewとJapaneseの頭文字をとってJJなのだ。
第二次世界大戦後、英国市民の対日感情がとても悪かった当時も、ユダヤ系の人たちは、日本人にこころよく部屋を貸した。日本人はユダヤ人の受難の歴史と無関係なので……などとよく言われるのだが、先の大戦に関しては、なにしろナチスの同盟国だったわけだから、これは鵜呑みにはできない。
ではなぜ、ユダヤ人と日本人がロンドンで共存する状況が生まれたのか。「ユダヤ人コミュニティーの間で、日本人は部屋をきれいに使うし金払いもいい、という話がひろまった結果、ユダヤ人の大家と日本人の店子、というケースが増えた」
「日本人がまだまだ敵視されたり差別されたりしていた当時、ユダヤ系の人だけはこころよく部屋を貸してくれる、という話が、日本企業で知られるようになった」
とふたつの説があり、どうもニワトリと卵みたいな話であるらしい。
なみに前者の説は、1970年代から英国に住み、『大人のロンドン散歩』(河出文庫)などの著書があるフォト・ジャーナリストの加藤節雄氏から、後者はその名もロンドン東京プロパティー・サービスという不動産エージェントの代表である菊地邦夫氏から、いずれも私が直接聞いた。私がこの地域に住んだのも、菊池氏がよい物件を紹介してくれたからである。たしかに当時、外に出れば一度くらいは日本人を見かけた。
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