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[林信吾]【英語も実は「移民」がもたらした】~ヨーロッパの移民・難民事情 その6~

Japan In-depth / 2015年11月5日 19時0分

[林信吾]【英語も実は「移民」がもたらした】~ヨーロッパの移民・難民事情 その6~

少し前に『女王とプリンセスの英国王室史』(ベスト新書)という本を上梓した。amazonでの煽り(宣伝)文句は、「エリザベス女王はドイツ人?」というものである。日本の皇室のように「万世一系」ではないのが特色だと書いた。

現在の王家はウィンザー家を名乗っているが、もとはと言えばハノーファー王家だ。始祖であるジョージ一世(在位1603~1625)は、ドイツのハノーファー選帝侯であり、名前の読み方もゲオルク。この人、なんと英語が話せなかった。

こうした歴史に関心があり、かつ御用とお急ぎでなければ前掲書をご一読願いたいが、「外国人の血を引く国王」がいてもなんら不都合とは思わないお国柄だけに、移民に対するメンタリティも、日本とはだいぶ違っていて当然なのだろうか。

1066年に、当時フランス北部で勢力を伸ばしていたノルマン公ギョームが、英仏海峡を押し渡ってブリテン島南部に上陸。先に当地を支配していたアングロ・サクソンの諸侯を制圧し、イングランド王ウィリアムと名乗った。これこそ英国王室の起源で、そもそもが征服王朝であったわけだ。手軽に読める「イギリス本」の類には、しばしば、「名前をウィリアムと英語読みに変えて……」
などと書かれていたりするが、これでは、時系列の正確さに欠ける……実は私もこうした書き方をしたことがあるので、あまり偉そうなことは言えないのだが。

どうしてこの記述では不正確になるかと言うと、実はこの頃、まだ英語は成立していなかったからである。ギョームらの「進駐軍」が話していたのは、フランス北部の方言であるノルマン・フレンチで、ブリテン島南部の「公用語」は、低地ドイツ語から派生したサクソン語であった。
この二つの言語が融合し、時間をかけて英語が出来上がっていったわけで、ウィリアム一世の場合、名前を「サクソン語風に」読み替えたというのが正しい。

そのようなことをした理由は、サクソン諸侯の抵抗が長期化するのを避けるべく、地方での徴税権や政治参加を容認する懐柔策が用いられたことと関係がある。なにぶん地方に行政官を派遣しようにも、ノルマン公の側近はノルマン・フレンチしか話せず、サクソン諸侯はサクソン語しか話せなかったので、どうしても「地方分権」を大幅に認めざるを得なかった。

ともあれこの結果、サクソン諸侯の末裔は、地方の大地主として徴税を請負い、また自身も高額納税者となって、次第に政治的発言権を強めていった。貴族とは一線を画すものの、彼らには「高貴な」という意味のジェントリーという呼称が与えられ、やがてここから、英国紳士を象徴するジェントルマンという単語が生まれるのである。

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