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[渡辺敦子]【「日本の」社会科学不要論】〜海外から見た乗り越え難い壁~

Japan In-depth / 2015年11月11日 23時0分

こんなこともあった。この分野では大物である某国立大学名誉教授の英語論文を読んでいたら、福沢諭吉についての引用が「Yukichi, 1976」などとなっている。これはもちろん「Fukuzawa, 1976」でなくてはならない。同様の間違いが同じ論文に大量にあり、誤植というよりむしろ読まれないことを前提としているのかと疑いたくなる。断っておくが、査読論文である。これでも平気なのはおそらく、日本の国際関係論は欧米の学者主導のため、日本の歴史や文化の正確な知識は問われにくい構造になっているからだろう。

社会科学とは、福沢の訳によれば「人間交際(society)」を研究する学問である。だから交際を阻む社会科学は意味がないし、グローバルな議論に参加しない国際政治学など存在してはならない。もちろん、進んで交際を外部に求めてきた優れた先達、同輩は多くいるし、高度な英語力が求められる社会科学の国際化のハードルは、実は自然科学に比べはるかに高い。しかしこの「壁」は語学以前の問題だ。国際化が学問の全てでないのはもちろんだが、日本の社会科学に不要論が出るのはやむを得ぬことなのか、と嘆息せずにはいられない。

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