[林信吾]【五輪招致という政治活動:オリンピックの6個目の輪 その3】~経済・財政から見る五輪~
Japan In-depth / 2016年1月15日 7時0分
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
2020年東京五輪は、よく知られるように二度目の開催ということになるが、英国の首都ロンドンは、すでに三度開催している。1908年、1948年、そして2012年である。
前回、開催費用の問題に触れたが、1908年の大会に投じられた費用が1万5214ポンドであったのに対し、2012年のそれは、インフラ整備などの諸費用を含めると、93億5000万ポンド以上にもなっていた(レートを含め、1月13日号参照)。
単純計算だと61万5000倍ほどだが、英国のエコノミストによると、この100年間に繰り返し起きたインフレによる、ポンドの価値下落を勘案しても、6385倍になるそうだ。
ロンドンが、2012年夏季五輪の招致に乗り出すことを決定したのは、2003年1月のことである。2005年7月7日に開催地が決定することは、すでに周知されていたので、かなりギリギリでの決断であった。ロンドンが招致すると言っても、巨額の費用が必要となるため、国家プロジェクトとならざるを得ず、英国政府のバックアップが不可欠であったのだが、当時の労働党ブレア政権は、なかなかGOサインを出さなかった。
理由はもちろん費用の問題であったが、2002年暮れから2003年1月にかけての時期と言えば、イラク戦争に参戦した結果、政権の支持率がかなり落ちていた時期だった。当然ながら、党内からも「なんとかしろ」という突き上げがあり、国を挙げて盛り上がれるイベントでもって一打逆転を狙ったものと、今では衆目が一致している。
招致活動のリーダーに指名されたのは、バーバラ・カッサーニ女史。
BA(英国航空)の子会社の再建を託され、格安航空会社に業種転換することにより大成功を収めるなど、英国では伝説的なスーパー・キャリアウーマンだ。
彼女のもとで、ロンドン五輪開催のマスター・プランが練り上げられ、2004年5月までには、最終候補5都市の中に残っていた。ところが、まさにこのタイミングで、リーダーの交代が発表されたのである。
理由は、よく分からないというのが本当のところだが、世上よく言われたのは、彼女が米国人(1960年ボストン生まれ。夫君は英国人)であったことが、招致活動にマイナスに作用するのでは、と危惧された、ということだ。
後任に指名されたのは、セバスチャン・コウ氏。1956年生まれ。陸上の中距離選手として活躍し、1980年モスクワ五輪、1984年ロサンゼルス五輪で、計4個のメダルを獲得している。まさしく英国を代表するアスリートで、保守党の下院議員だった時期もあるという、同国スポーツ界の重鎮だ。
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