ウェディングプランナーになった男(上)~プロ野球選手のセカンドキャリア その4~
Japan In-depth / 2016年1月29日 0時20分
神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
ウェディングプランナー。
その元プロ野球選手だった青年が、戦力外通告を球団から受けて、選んだ仕事だった。はた目からは、異色としか見えない転身。しかし、らしいと言えば、人に幸せを届けるこのビジネス、天真爛漫な生山裕人(30)にはぴったりだった。ユニフォームより、白シャツに蝶ネクタイが、むしろ似合うと思うのは、気のせいだろうか―。
戸惑いの日々
一言にウェディングプランナーと言っても、どのような仕事か、野球だけをして来た生山には、イメージできなかった。しかし、世話になったコーチからの紹介でもあったし、仕事としても
「それでも、人を幸せにすることが好きだから向いていると思った」
ところが、土日も休みが無く、平日も終電まで働き続けることも珍しくなく、友人と会う時間もなかった。
ウェディングドレスの販売、式場のセッティングなど、披露宴に、それまで一度も出たことがなかった。それでも若いカップルの笑顔を輝かすために、必死に働いた。初めての接客、電話対応、ビジネスパソコン、式場情報の暗記など、苦痛過ぎて、就職3か月で上司に仕事を辞めたいと直訴。引き止められた。そんな事を何回も繰り返しながら1年が経過。ウェディングプランナー・生山裕人が誕生していた。
野球人生を終えたあの日、他の世界に人脈も何もなかった。
スポーツ関連企業へ就職するという「当たり前のことがしたくなかった。最初に、スポーツ関連に行ってしまうと、他の世界へ踏み出せなくなってしまうと考えたから。一度、チャレンジしてみて、駄目なら、また方向転換すれば良いと思っていました」
結婚のプランニングする仕事も2、3年目に入った。
客に覚えてもらうために、自分を特徴づけるために工夫も重ねた。そんな一つが、蝶ネクタイを身に着ける事だった。また元プロ野球選手というキャリアが武器になり、どんどん世界が広がっていった。
教師を目指した青春時代
生山は、2008年10月30日のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから、育成選手枠で指名された。2009年は二軍で2試合の出場にとどまったが、年々出場機会をふやし、2012年は87試合に出場した。が、支配下登録(注1)されることは、なかった。
実は高校時代は、教師を目指していた。
大阪府内随一の進学校、府立天王寺高等学校時代。所属していた野球部の練習は、2日に1回しかグラウンドが使えなかった。校庭はサッカー部とフィールドホッケー部と共用していたためだ。この時は、まさかプロ野球選手を目指すなどとは、微塵も思わず、地道に教師を目指していた。しかし、大阪教育大学を現役で、そして、一浪しても不合格となってしまった。
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