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ウェディングプランナーになった男(上)~プロ野球選手のセカンドキャリア その4~

Japan In-depth / 2016年1月29日 0時20分

近畿大学文芸学部芸術学部演劇芸能専攻演技コースに進学。180度方向転換、もう1つの夢であった芸人になる道を選択した。が、授業で、
「あなた、水になりなさい」
「えっ…」
とんでもないところに来てしまったと、考えるようになっていた。

戸惑いながらも、浪人時代は休んでいた野球を再開。授業の関係で、硬式野球部も準硬式野球部も入部出来なかった。何とか潜り込んだのが二部の準硬式野球部だった。練習は週3回、夜間のみ。
が、この時期から野球にのめりこんでいった。八尾ベースボールクラブにも入団。
「足だけがクソ早くて」(生山)
50m走を斜めに走っても、5秒9という驚異的なタイムを記録していた。だが、
「野球への思いは日々強くなったが、プロ野球選手を目指せるのは本当に一部の人間で、自分には無理だと、プロへの気持ちも締め出そうと、独立プロリーグの受験を決意しました」

2007年に四国アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の香川オリーブガイナーズに入団。2年間での出場試合数は公式戦の6割程度であったが、俊足を武器に、内外野を守った。
当時の月給は、10万円ぽっきりだった。
持ち味の"足"をアピールするため、守備位置からベンチまで、いつも全速力で走り、人気を博した。いつしか、プロのスカウトマンの目にもとまるようになり指名を受けた。

しかし、プロ生活4年目、練習を重ねても結果が出せず、2012年頃には、野球は生山にとって「ただ苦しいもの」に、変わってしまっていた。

同年10月7日付けで、戦力外通告を受けた。

(注1)支配下登録選手

プロ野球球団選手として各リーグに届けられ、公示された選手。

(【ウェディングプランナーになった男(下)】~プロ野球選手のセカンドキャリア その4~ に続く)
*写真1:ロッテに育成選手として指名を受けて、頑張っていたプロ野球選手時代。俊足が売りだった。©生山裕人
*写真2:自分を特徴づけるために、蝶ネクタイをトレードマークにした生山。©生山裕人


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