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ガリ元国連事務総長の死と国連 その「挑戦と挫折」

Japan In-depth / 2016年2月22日 23時0分

ガリ元国連事務総長の死と国連 その「挑戦と挫折」

千野境子(ジャーナリスト)


まるで新しい冷戦が始まったかのような国際情勢だ。しかも米ソ冷戦の時代と異なり無極化と非対称戦争を道連れに、本来なら今こそ出番が望まれる国連は期待値が限りなくゼロに近づき、創設以来の危機にある。

そのような中、ブトロス・ブトロス・ガリ第6代国連事務総長の訃報がもたらされた。エジプト出身。首都カイロの病院で死去。93歳。

国連安全保障理事会は会合に先立ち黙祷し、潘基文事務総長は「国連史上、もっとも騒然とし、挑戦を受けた期間のひとつだった時期に国連を率いた」と称賛した。その通りだが、ガリ氏の時代に勝るとも劣らず、今まさに「騒然とし挑戦を受けている」渦中の後継者の弔辞にしては、当事者意識が希薄だ。ここでもまた失望を感じさせられたのである。

トリグブ・リー初代事務総長から第8代の潘まで、国連70年の歴史で事務総長は8人。ガリ氏が記憶されるのは、国際紛争の解決に国連の役割を再評価し、従来型の国連平和維持活動(PKO)を超える、より強制力を伴った平和執行部隊構想への果敢な挑戦とその挫折においてである。

1992年に事務総長として就任するや、国連初の首脳たちによる安保理特別会合を招集、また『平和への課題(Agenda for Peace)』を発表し、この野心的な構想を提起した。PKOが文字通り、和平が成立し平和が維持された状態で相手国の同意を得て行うのに対して、平和執行はいずれもない状態でも紛争地域に入って行く。

ガリ構想は、その意味では今日見るような21世紀型紛争を既に見据えていたと言える。翌93年には早くもアフリカの角、ソマリアに国連PKOを支援する形で米軍主導の平和執行部隊が投入された。しかしソマリア武装勢力は米軍部隊を襲撃、米兵の遺体を引きずり回す生々しい映像が世界に中継され、国際社会は大きな衝撃を受け、米国は部隊を撤退させたのだった。

失敗の理由は簡単に言えば時期尚早だ。和平も同意もない中で国連部隊が展開するには兵士から装備、すべてに於いてPKOのレベルを超えたものが必要なのに内実が伴わなかった。

それにもかかわらず実行に移されたのは、「パクスUN(国連による平和)」に対する期待の高まりというポスト冷戦期の特有の空気ゆえであり、野心的過ぎたガリ氏だけの責任に帰することは出来ない。今では想像さえ難しいが、米ロ英仏中の安保理常任理事国も一度は国連による紛争解決を夢見たのだ。

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