「中東・欧州複合危機」の予兆
Japan In-depth / 2016年3月29日 12時0分
山内昌之(東京大学名誉教授・明治大学特任教授)
テロリストによる爆破事件や陰謀に関わるニュースを聞かない日はない。その多くは、アラブはじめ中東からヨーロッパに移住した家族に生まれた者か、シリアなどの難民にまぎれこむか偽装した形でヨーロッパに来着した者たちである。2016年3月22日にブリュッセル国際空港と市内で起きた同時テロは、ヨーロッパに根を張ったテロ・ネットワークの強固さと、シリアを中心としたスンナ派過激派組織「イスラーム国」(IS)の影響力を改めて想起させた。
こうした無差別テロは、2015年1月のパリのシャルリー・エブド本社襲撃で17人の死者を出したのを皮切りに、11月に同じパリで130人の死者を生んだ同時大テロにつながる連鎖に他ならない。今度の事件で痛感させられたのは、ISが本拠地としているシリアやイラクやシリアの国内にとどまらず、遠く離れたパリやブリュッセルも「戦場」ととらえていることだ。問題は、テロの実行犯に命令や指図をしたか否かといった問題ではない。ISは、すべての事象を常に組織の維持と拡大を正当化し誇示する手段と見なしている以上、その政治的効果こそ問われねばならないのである。
いま起きている危機は、かつての国家間の戦争とは異なるものだ。むしろ、非国家主体組織による国家との非対称なポストモダン型あるいはハイブリッド型の「戦争」の一部なのである。この点を見落として、事象を単純にテロ事件として扱うなら、市民の言論や移動の自由を奪うのか否かといった刑事事件の次元でテロ拡散の危機を議論することになる。むしろ問題は、個人の生存や社会の存在について、テロを有効な戦術とするポストモダン型の「戦争」から市民を如何に隔離し、保護するのかという見方をもつことにある。
彼らは、その意図を察知させまいとして、ヨーロッパ域内のテロ事件として矮小化させる方向にメディアや世論を誘導している。シャルリー・エブド襲撃事件、パリ大テロ、ブリュッセルの同時テロは、シリアを中心に進行している中東における複合的な危機が、ヨーロッパに流入する難民の増大やテロ拡散の問題を通して、「中東・欧州複合危機」にまで発展する流れを予兆させている点こそ深刻なのである。こうした見通しについて、私は『中東複合危機から第三次世界大戦へ』(PHP新書)において触れる機会もあったので、御参照いただければ幸いである。
ところで、19世紀から20世紀にかけての英仏露などによる中東地域の帝国主義的分割や、20世紀から21世紀に至るアメリカの湾岸戦争やイラク戦争の展開は、中東住民のほぼ全員にとって不愉快な歴史であった。だからこそ、当初はイスラーム社会の一部世論にISに共鳴する向きがあったかもしれない。しかし、大多数の人びとにとって、ISの本質はテロにあり、もはや宗教上の正義などではないと理解するようになった。ISは、犯罪と戦争との間を自由に往復するテロによって、敬虔なイスラーム教徒とそれ以外の宗教を信じる人びととの間に亀裂を作ろうとしている。
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