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「地雷を踏んだらサヨウナラ」戦場ジャーナリストの矜持

Japan In-depth / 2016年5月7日 20時58分

3割しかプノンペンに着かないという危険きわまりないルートを使って。一度、強制退去になっている国に、フリーカメラマンとして組織のバックアップなしで単独潜入することは、かなり無謀だったと思う。それでも一ノ瀬はカンボジアに向かった。

一ノ瀬は、「地雷を踏んだらサヨウナラ」と、友人に言葉を書き送り、11月22日か23日、アンコールワットへ単独潜行したまま消息を立った。26歳になったばかりだった。 戦場を目指し、戦争を伝え、散っていった沢田教一と一ノ瀬泰造、彼らは賞賛されることはあっても、無謀な戦場カメラマンと非難する人は殆どいない。

現代において「地雷を踏んだらサヨウナラ」と発言したらどうなる事か。想像するだけでも身の毛がよだつ。現代はベトナム戦争時代のように「医療従事者とジャーナリストは敵ではない」という時代ではなくなってしまった。戦場取材の難しさと危険度が増し、戦場カメラマンの命が奪われるだけでなく、人質となり国に対して身代金が要求される、そんな時代になってしまった。

写真雑誌に一ノ瀬泰造の記事があった。冒頭「自由に取材できた最後の戦争と言われるベトナム戦争」と書かれてあり、樹脂製の弾丸を通すボディー、電池がないと切れないシャッターでは、戦場で命を賭けることはできない。しかしその頃には、命をかける戦場そのものがなくなっていったのである。結びには金属製のマニュアルカメラで戦場に命を賭けるか。電子化されたオートマティックのカメラで日常を楽しむか。と書かれてあった。

その弾丸を通すボディー、電子化されたオートマティックのカメラの時代になっても戦場を目指すカメラマンは存在している。日本に於いては英雄視されるどころか「非国民」として「自己責任論」をぶつけられる。

先日、安田純平の映像が公開されて、再び「自己責任論」が浮上しはじめている。政府批判の発言をしたんだから、政府に助けてもらえる筈がない、一発当てに行ったのだから、失敗しても本望だろう、と。

安田自身は覚悟の上で現地に向かっているから、助けを求める発言はしていない。一発当てるなどと言われているが、フリーのカメラマンが自腹で現地に行って、例えスクープ映像を取れたとしても紙媒体では数十万円が限界。航空券代を考えると赤字になるケースの方が多い。

お金だけを考えたら命をかける価値がある仕事とは言い難い。名誉欲?生きながらにして首を切られるリスクと引き換えの名誉など、誰が欲しがるか。何故、戦場カメラマンが現地を目指すのか? それは、安田に限らず日本の戦場カメラマンが現地と長年の付き合いがあり、伝えたいことがあるからだ。

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