「地雷を踏んだらサヨウナラ」戦場ジャーナリストの矜持
Japan In-depth / 2016年5月7日 20時58分
その伝えたいことが日本で必要とされなくなったら、元も子もないが。アメリカ人ジャーナリストが殺害された時、ケリー国務長官は「ジャーナリズムには危険が伴う。リスクを完全に取り除く方法はなく、唯一の例外は沈黙だ。しかし、これは降伏だ。世界は何が起きているか伝えられることを必要としている。沈黙は独裁者や圧政者に力を与える」と言った。
一方、日本の菅官房長官は「後藤さんの勇気は勇気だが、蛮勇だ」と言った。日本と諸外国を比較すると個人、そしてジャーナリズムに対する大きな隔たりを感じる。多くの国のジャーナリストが命がけで戦場取材をしている。日本人だけが安全な所にいて、情報を輸入だけに頼っていて良いのだろうか。
前出のロバート・キャパは言った。生き残る確率が50%もあれば、僕は迷わずパラシュートで降りて写真を撮りに行く。才能があるだけじゃ駄目だ、ハングリーでなければ。日本人だから撮ってくることができる写真、持ち帰れことができる情報がある。
(本文中敬称略)
沢田教一
日本を代表する報道カメラマン(戦場カメラマン)。 学生時代より、伝説的な戦場カメラマンであるロバート・キャパに憧れをいだき、1965年から既に全面戦争に突入していたベトナム戦争を撮影するようになる。 1965年、沢田の代表作となる『安全への逃避』で、第9回ハーグ世界報道写真展グランプリ、第23回USカメラ賞を受賞。また、翌年(1966年)には、『安全への逃避』を含む写真集が世界的に高い評価を受け、日本人2人目のピューリッツァー賞受賞。この年撮影した『泥まみれの死』『敵を連れて』により、第10回ハーグ世界報道写真展 第1位、第2位を受賞。アメリカ海外記者クラブ賞・第24回USカメラ賞 受賞。 1967年にはアメリカ海外記者クラブ賞、1968年に第26回USカメラ賞を受賞するなど、輝かしい功績を残す。 1970年、カンボジア・プノンペンの国道2号線にて凶弾に倒れる。死の翌年、沢田はロバート・キャパ賞を受賞した。
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