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15年前の大量殺人から何をくみ取るべきだったのか 障害者施設殺傷事件

Japan In-depth / 2016年7月31日 0時26分

15年前の大量殺人から何をくみ取るべきだったのか 障害者施設殺傷事件

山口敦(産經新聞大阪本社 社会部次長


「Osaka In-depth」


また、大量殺人事件が起きた。


神奈川県相模原市の障害者施設に侵入した男が19人を殺害した事件。警察の移送車両のなか、大量のフラッシュを浴びて笑顔をみせる植松聖容疑者の姿に、大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)で、23人の児童らが殺傷された際にも感じた、何とも言えないどす黒い感情がこみ上げてくる。


植松容疑者が措置入院から退院した後に事件を起こしたことが、附属池田小事件の宅間守元死刑囚に共通することから、専門家からは「過去の事件の教訓が全く生かされていない」という声があがっている。


時間帯も襲撃の対象も異なるが、徐々に明らかになりつつある相模原事件の凶行と、付属池田小事件での宅間元死刑囚の行状は、「狂気」という点で確かにつらなってみえる。


高台にある緑豊かな名門小学校で、あの日どれほどの不条理が行われたのか。


二つの大量殺人事件について改めて考えるために、付属池田小事件について詳細に調べ続けた遺族たちが、発生から1年5カ月後、自ら現場の教室に立ち、犯行を再現した際の取材から、振り返っておきたい。


「最初に刺されたのは出入り口近くにいたうちの娘です。娘の腹を刺すために(宅間元死刑囚は)かがみ込んで手で娘をおさえて刺したそうです。逃げようとする娘の髪を引っ張り、さらに背中から突き刺しました」(2年南組女児の母)


平成13年6月8日午前10時すぎ、付属池田小学校。車で小学校に乗り付けた宅間元死刑囚は、開きっぱなしだった同校の自動車専用門から、出刃包丁や文化包丁の入った緑色のビニール袋を持って校内に侵入した。


最初に標的にしたのは、授業を早めに終えた担任が、学級の菜園に出かけたばかりの2年南組だった。1階にあった教室に数人の児童が残っていた。最初の女児を刺した後、宅間元死刑囚は、教室の前の方で折り紙などをして遊んでいた児童たちを次々と切り付けた。


「ここで刺され、その後なくなった4人のうち3人はうつぶせになって倒れていた。救急隊員が着くまで25分間、放置された。隊員が駆けつけたときには一人にハートビート(心臓の鼓動)があり、救急車のなかで心停止になったのが悔やまれる」(2年南組女児の父)


4人のうち1人は廊下まで逃げた。


「娘は、教室から廊下を39メートル逃げました。走ったり、止まったり、蛇行しながら、血をぼとぼと流して、隣のクラスから逃げた子に追いぬかれ、前のめりに倒れた。着ていたブラウスは血で染まり、真っ赤なジャンパーを着ているように見えた。『うう痛い』。そんな声を聞いた子もいます」(2年南組女児の父)


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