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天皇自身による「第2の人間宣言」 知られざる「王者の退位」その4

Japan In-depth / 2016年8月23日 11時0分

天皇自身による「第2の人間宣言」 知られざる「王者の退位」その4

林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

2016年8月8日は、後世「第2の人間宣言」が発せられた日として、日本人の記憶にとどめられるであろう。

なにやら鬼面人を驚かすような書き出しになってしまったが、私は8日午後3時より、ビデオメッセージという異例の形で、生前退位の意向に対し、国民の理解を求めた「お言葉」と、その後の報道を出来る限り子細に読み、これは第2の人間宣言以外のなにものでもない、と結論づけるに至った。

まず冒頭近くで、

「天皇という立場上、現行の皇室制度に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えてきたことを話したいと思います」

と述べられた。

この段階ですでに、天皇に「個人」という概念が当てはまるか否かという議論に、自ら決着をつけてしまったと言える。

この問題を論ずるためには、まず昭和の「人間宣言」から語り起こさねばならない。

敗戦から半年足らず、未だ占領下にあった1946(昭和21)年の元旦、ラジオ放送を通じて国民に発表された、年頭の詔書のことである。

そう。これが「人間宣言」と呼ばれるのは、マスコミがそう名付けたからに過ぎず、本文において

「自分は神でなく人間である」

と明確に述べた箇所は存在しない。ただ、

「天皇を現人神とし、神話に基づいて日本民族が他民族に優越しているという理念」

については、それは事実ではない、と断じている(筆者の責任において要約。並びに新仮名遣いで表記)。

日本国憲法と同様、占領下で書かれたものである、という理由で、この詔書そのものに否定的な見解を示す人もいるが、当時の国民に与えたインパクトは大きかった。実は国立国会図書館にも「人間宣言」のタイトルで収蔵されている。

戦時中の日本人が、

「天皇は現人神、日本は神国」

といったことを、どこまで本気で信じていたかについては、個人の考え方はそれぞれだ、としか言いようがない。当然ながら年代や立場によって大いに異なるであろう。ただ、大日本帝国が敗戦を受け容れるについて「国体の護持」に最後まで固執したことは広く知られる事実で、敗戦後、憲法改正の作業に最初に関わった松本蒸治は「宣言」について、

「陛下が神でないというなら、それはもはや国体ではない」

と述べたそうである。

彼ら戦前戦中の政治家や軍人の言う「国体」が、天皇神格化と一体のものであったことは疑う余地がない。

前回紹介したように、敗戦後の昭和天皇の処遇については、英国における「王冠を捨てた恋」の例まで参考ししつつ、様々な議論があった。

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