英国にもあった共産党 しぶとい欧州の左翼 その4
Japan In-depth / 2017年2月5日 11時0分
余談だが、このボリシェビキのことを、大正時代の新聞が、あえて「過激派」と訳したことにより、日本語に新たな単語が加わることとなったとされている。ともあれ、この革命の成功が、ヨーロッパの社会民主主義陣営にも大きな影響を及ぼし、レーニンらの路線を強く支持する人たちは、党を割って共産党を新たに旗揚げした。
1922年に結成された日本共産党だけは、実は数少ない例外で、はじめからモスクワに本部を置くコミンテルン(共産主義インターナショナル)の指導と援助で生まれている。日本で社会主義や共産主義というと、どうしてもソ連のイメージがついて回っていたのは、まったく理由がないことでもなかったのだ。
英国共産党は、これともまた異なっていて、いわゆる左翼インテリを中心に、ロシア革命の成功に触発された人たちが、いくつかの小組織を起ち上げ、それらが大同団結して共産党を名乗るようになった。冷戦期には、西側先進国の共産党としては珍しい、ゴリゴリの親ソ路線を維持していたが、1991年のソ連邦解体を受けて「解党的出直し」が決議され、党名も今は「左翼民主党」と改められている。
しかし、これをよしとしなかった党員も少なからずいて、いくつかの別派が生まれたが、その中で最大勢力を誇り、機関誌『モーニング・スター』まで引き継いだのが、ロバート・グリフィス氏を党首として、1988年に新たに共産党を名乗った組織だ。と言っても党名は「コミュニストパーティー・オブ・ブリテン」で、旧称の「……グレートブリテン」とは微妙に異なっている。
ロンドン東部にある『モーニング・スター』の編集部事務所で会ったのだが、開口一番、“Hi, comrade (やあ、同志)”などと話しかけられてズッコケそうになった。多分まあ、挨拶代わりに「もうかりまっか?」と聞く人たちと大差ないセンスなのだろうが(筆者の偏見です。関西の皆様ごめんなさい)。以下、インタビューの中から、今日の日本人読者にも興味を持たれそうな部分だけ紹介させていただこう。
ー日本では共産党が4番目に大きな政党ですが、英国ではそうではない。その理由はどのあたりにあると考えますか?
「冷戦時代に、労働組合運動が反共的な方向性をもって組織し直されていった、という理由がひとつ。それから、共産党が人気を得るような世相になると、労働党が決まって左傾化するのですよ(笑)。ただ、我々の新聞は労働党左派にも多くの定期購読者を獲得し、理論面で大きな影響を与えています。組織は小さいが影響力は小さくない、と自負していますよ」
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