日本にあった「暗殺への抑止力」 暗殺の世界史入門その4
Japan In-depth / 2017年3月17日 7時15分
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・日本は9世紀から300年以上死刑がなかった
・「怨霊」信仰が暗殺の抑止力になっていた
・鎌倉時代の新仏教誕生以降、血なまぐさい時代へ
■9世紀から346年死刑がなかった日本
わが国の歴史にも、暗殺の事例は数多く見受けられる。
7世紀に「天皇中心の国体」の基礎を築いたとされる大化の改新からして、有力な豪族の筆頭格であった蘇我入鹿の暗殺によって始まったことは、中学生でも知っている。
ただ、その後も繰り返された貴族社会の内部、あるいは天皇家を中心とする貴族階級と、新たに台頭してきた武士階級との間での権力争いにおいて、命を奪われた人が意外に少なかったということも、また事実なのだ。
9世紀から12世紀まで、346年の長きにわたって、死刑が事実上廃止されてもいた。もう少し具体的に述べると、810年に嵯峨天皇と平城上皇との対立が武力闘争にまで発展したのだが、結果は嵯峨上皇側の勝利で、平城上皇の愛称であった女官・藤原薬子やその兄が処刑された。しかし、上皇はじめ皇族については、
「遠離無期の刑は死罪に等し=命まで奪わずとも終身刑ならば同じこと」
とされ、流罪で決着を見た。
1156年、今度は崇徳上皇と後白河天皇との間で起きた争いに武士が介入し、世に言う保元の乱が起きるわけだが、この結果、崇徳上皇側についた武士に対して死罪が言い渡されたが、これが346年ぶりだったわけだ。
■信じられていた「怨霊」の存在
なぜこのようなことがあり得たのかと言うと、キーワードは「怨霊」ということになる。この世に恨みを残して死んだ者は、怨霊となって災いをもたらすと信じられていた。特に身分の高い人は、たとえ「A級戦犯」であろうとも、殺害したら後でどのようなタタリがあるか知れたものではない、と考えられたのだった。
この保元の乱、それに引き続く平治の乱(1160年)の結果、平清盛を中心とする平家一門の権力が確立するが、その後、失地回復を狙っていた源氏の一門が、関東を拠点に相次いで決起し、ついには平家を滅亡させる。
かくして源氏の統領・源頼朝が1192年、征夷大将軍に任ぜられて鎌倉幕府を開くわけだが(この年号については、近年では異説も多い)、その頼朝が1199年に急死してしまう。原因は落馬と見られているが、確たることが分かっておらず、当時は暗殺説や「平家の怨霊説」が入り乱れていた。
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