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陰謀説の読み方② 陰謀はいつもそこにあった

Japan In-depth / 2017年7月1日 7時0分

その研究の一環として私はエドウィン・ライシャワー元駐日大使にインタビューした。日米安全保障や日米同盟のあり方に対する彼の見解を詳しく尋ねることが主目的だった。するとライシャワーは私との長時間の一問一答のなかで「アメリカの海軍艦艇は日米両国政府の公式否定にもかかわらず長年、日本の港に核兵器を搭載したまま寄港を重ねてきた」と語ったのだ。

この発言は日本側の「核兵器は製造せず,持たず,持込みを許さない」とする非核三原則が虚構だったことを物語っていた。私が東京の当時の同僚や先輩たちと協力して、このライシャワー発言を毎日新聞で報道とすると、日米両国で大騒ぎが起きた。日本の非核三原則の「持ち込みを許さない」という部分は虚偽だったことを意味したからだ。

日本の国会でもライシャワー発言報道は取り上げられ、アメリカ側でも混乱が起きた。当時のアメリカではちょうどロナルド・レーガン政権が誕生したばかりだった。レーガン大統領は就任早々、ソ連との対決姿勢を打ち出し、米軍の大規模な増強を始めていた。

そんな時期の私の報道に対し日本側の一部では「ライシャワー発言はアメリカ側の陰謀なのだ」という声が起きた。その陰謀説は複数の日本のメディアで実際に活字にもなった。「日本の核アレルギーを減らすためにレーガン政権がライシャワーと毎日新聞記者の古森を使って意図的な報道をさせたのだ」という説だった。要するに全体がアメリカの陰謀なのだとする説なのである。

インタビューの当事者の私としてはまったく心外だった。ライシャワーには事前に質問や討論の内容は具体的になにも知らせていなかった。彼としてはなにがテーマになるかも知らなかったのだ。しかも民主党の年来の支持者であるライシャワーが共和党のレーガン政権と組むはずがない。

だがなぜか日本にいる一部の消息通は当事者の私が知らないことをみな知っていて「陰謀説」を堂々と述べるのだった。ただその「陰謀」を裏づける具体的な証拠を示す人はだれひとりとしていなかった。

その翌年の1982年6月、アメリカで「IBM産業スパイ事件」というのが起きた。アメリカ側の捜査当局が日立製作所と三菱電機の社員など6人を逮捕するという事件だった。日本側の6人がIBM社の産業技術の機密情報を盗んだという容疑だった。

本来ならスパイをしたとされる側の名称をとって「日立・三菱産業スパイ事件」と呼ばれるほうが理屈にかなっていた。だが日本側ではスパイの主体はあくまでIBMであるかのように響く名称をつけていた。

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