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“踊らにゃ損損”夢は人を幸せにするのか

Japan In-depth / 2017年7月20日 18時0分

“踊らにゃ損損”夢は人を幸せにするのか

為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

【まとめ】

・「夢の幸福モデル」は自己否定や現状への不満に繋がるのではとの見方あり。

・個人の幸福に関していえば「あるがままに生きる」が良いと思う。

・幸福は幻、”踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損”くらいがちょうどいいのでは。

 

twitterで久しぶりに面白い問題提起をいただきましたので、返答したいと思います。主な論旨はこのようなものだと認識しているのですが、もし間違えていたら後ほど指摘してください。

1、挑戦はいいことであり夢もいいことであるが、一方で夢を追う弊害もあるのではないか

2、夢の幸福モデルは、今我慢して努力したものが夢がかなったタイミングで払い戻されるというモデルで、叶えば払い戻しがあるからいいが、叶わなければ常に未来の払い戻しを夢見つつ今に犠牲を払い続けることになる。

3、夢の幸福モデルは、常に目標と未来を前提にしているので、今この瞬間のささやかな幸福を犠牲にしがちではないか。時に未来の理想と現状を比較し、常に現状に不満を抱くことになりかねないのではないか。

4、大きな罠は、社会がこの考えを肯定しているがあまり、本人は幸せだと思い込みながら、心の深いところで自分を責めているのではないか。つまりああなりたいは、今そうではない自分への否定になり得る。

というものではないかと思います。

スポーツではよく『目標を持ちなさい。そのために努力しなさい。もし目標を叶えてもさらに高い目標を掲げ常に満足することなく飽くなき成長を続けなさい。』と言われます。

スポーツの場合はわかりやすく、どの高さまで行くのかがはっきりしているために、目標モデルは効きやすいところがあります。

一方、社会においては、もう少し目標がふわっとしていることも多いです。例えば漠然と、大物になるとか、人を幸せにするとか、社会を変え社会にインパクトを残すなどは、誰が聞いてもいいねと思いますが、ところで具体的に何をするんですかというのが浮かんできにくいと思います。いずれにせよ、何か目標があった方がいいというのは大方の見方だろうと思います。

さて、ではなぜ目標があった方がいいのかというと、その方が社会的に成功しやすいからだと思います。社会的に成功するとはどういうことかと聞かれるとこれも難しいのでここでは、富、名誉、社会的地位、よき友人、よき家族、社会への貢献あたりが手に入ることだとしておきます。力がなければ、社会貢献もなかなかできません。

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