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日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説 その4

Japan In-depth / 2017年9月3日 19時35分

▲写真 ニクソン大統領と握手する田中角栄首相 1973年 出典:White house Photo Office

いつから「善処します」が大きな話題なったのかは分からないが、繊維交渉での通訳をめぐる言説や研究成果が一般の関心を集めたのは事実である。沖縄返還交渉という最高の歴史的な舞台設定があるうえ、佐藤総理、ニクソン大統領という役者もそろっている。そうした中で生まれた「善処します」誤訳伝説。それだけでも話としては面白い。

さらに、すでに紹介した鳥飼、村松など「同時通訳者のスター」たちによって「善処します」の訳語の妥当性が発信されてきただけに、影響力が大きかったと言える。ただ、かねて「善処します」の部分だけに集中し、両首脳の交渉ですべてが決まったかのように論じてきた傾向にあったのではないか。

同じく「同時通訳者のスター」の西山千は「善処します」という発言の訳語として、 “I’ll see what I can do.” なら、後でどうだったのかと聞かれた時、 “I tried but I wasn’t successful.”と答えることができ、うそをついたことにもならないと指摘する。

だが、これは、2つのキーワードを踏まえていない主張である。「善処します」か「前向きに検討します」かの議論、その訳語をめぐる議論はもはやあまり意味を持たなくなったと言えるだろう。

天声人語で「善処します」が取り上げられたことを冒頭に紹介したが、天声人語の記者は筆者の指摘を受けて「善処します」発言はなかったとの差し替え記事をその後、掲載した。

そもそも、佐藤・ニクソン会談が行われたのは米ソの激しい冷戦下だった。米国依存の日本の安全保障体制、米市場重視の日本の経済構造などに代表される当時の日米の力関係を考えると、日本の対米交渉力には限界があったと言える。

 

▲写真 ニクソン米大統領と佐藤栄作首相 1972年1月6日 米・サン・クレメンテ 出典:Richard Nixon Foundation

若泉敬は「武力によらず平和裏の外交交渉によってナショナル・インタレストに基づき定義された国家目標を達成しようとすれば、それは不可避的に相手側との“取り引き”による妥協ということにならざるをえない、という認識である。いわんや、沖縄返還交渉という、いわば“失地回復”のための外交である」と語る。

繊維交渉で日本側はもともと不利な状況に置かれていたのである。通訳の腕によって対米姿勢の弱みを補える余裕はあまりなかったのだ。

(本シリーズ了。全4回。その1、その2、その3も合わせてお読みください。)

※この記事には複数の写真が載っています。サイトによっては全部の写真が見ることが出来ないことがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=35887のサイトにて記事をお読みください

※本稿は、日本メディア英語学会東日本地区研究例会(2016年6月11日)の研究発表、同年末に日本通訳翻訳学会の学会誌「通訳翻訳研究への招待」に寄稿した論文を基に執筆した。日本メディア学会と日本通訳翻訳学会には感謝申し上げる。今回の執筆の際、論文を編集し大幅に加筆するとともに、論文中のすべての引用英文を翻訳した。 

トップ画像:佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領(1969年11月米ホワイトハウスにて)出典/Richard Nixon Foundation HP

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