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ISはイスラムのオウム イスラム脅威論の虚構 その2

Japan In-depth / 2018年2月8日 10時50分

このような、軍事力と布教を見事に結合させたイスラムの活動を、後世のキリスト教社会の歴史家は、「右手にコーラン(=クルアーン)、左手に剣」と評したのだが、これがいつしか曲解され、改宗しない者は殺すぞ、というのがムスリム式の発想であるかのごとき言説が広まった。

▲写真 コーラン 出典:pixhere

世に言うイスラム恐怖症の源流がここに見られるわけだが、こうした誤解が自然発生的に広まったものなのか、それとも「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と説いたキリスト教に対して、暴力に訴えることをよしとするイスラム、という図式が意図的に描かれたものなのかは、よく分からない。ひとつ言えることは、イスラムもまた寛容を美徳とする教えであって、クルアーンにも、イスラムに改宗しない者は殺してもよい、などとは一行も書かれていない、ということだ。

ともあれ、政治的・軍事的要因もあって、大いに勢力を拡大したイスラムであったが、18世紀から19世紀にかけて、軍制や軍事技術の面で長足の進歩を遂げた列強から、繰り返し侵略を受けるようになった。

かつてインド亜大陸に覇をとなえたムガール帝国は英国東インド会社の軍門に下り、オスマン帝国はロシアから圧迫を受けるようになり、エジプトはナポレオン率いるフランス軍の上陸を許す、といった具合である。

こうした事態に対して、イスラム社会が堕落したからこうなったのだ、との反省に立ち、サラフ(先達)の時代に帰れ、と唱えるサラフィー主義が台頭した。現在でも、エジプトのムスリム同胞団などは、このサラフィー主義の流れを汲むとされている。読者ご賢察の通り、これがイスラム原理主義と呼ばれる思想の源流のひとつである。

もうひとつは、18世紀にアラビア半島で起こったスンニ派内部の改革運動で、ワッハーブ派あるいはワッハーブ主義と呼ばれる思想の流れである。

イスラムにはスンニ派とシーア派が存在し、スンニ派が多数派の地位にある、というあたりまでは、日本でも最近知られるようになってきたが、両者の相違点をごく簡単に述べると、イスラムの慣行(スンナ)に従う者の中から指導者が出ればよい、と考えるスンニ派に対し、ムハンマドから後継者に指名された者の系譜だけに指導者の資格がある、と考えるのがシーア派といったところだ。シーアとは本来「党」を意味するらしい。

ただ、両派が昔から血なまぐさい抗争を繰り広げてきたという事実はなく、相手方を殲滅せよ、などと声高に言う人もいなかった。アブドゥル・ワッハーブらによって、スンニ派の新たな一教団が立ち上がるまでは。

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