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イスラム圏永遠の禁句「十字軍」 イスラム脅威論の虚構 その6(下)

Japan In-depth / 2018年3月19日 10時32分

第二には、十字軍が経済的にも文化的にも、ヨーロッパに大いなる恩恵をもたらした、ということがある。シリアを支配下に置いたことで、地中海の交易が一段と盛んになり(それ以上に多くの部分が略奪によってではあるが)、金銀財宝のみならず、多くの文物が東方からもたらされた。

たとえばギリシャ哲学など、ギリシャ全土がローマに制圧され(紀元前1世紀)、4世紀以降ローマがキリスト教化されてからは、事実上、黙殺されていたのである。

紀元前6世紀から続いていたとされるオリンピア競技会=古代オリンピックまでが、異教の祭りであるとされ、途絶えていた(よく知られる通り、19世紀末にフランスのクーベルタン男爵らの尽力で、近代オリンピックとして復権したわけだが、これは余談)。

ところが十字軍により、かつてアラビア語に翻訳されていた多数の文献がヨーロッパにもたらされ、カトリックの教義とは無縁のところにも(なにしろキリスト教が成立する以前の文化だ)豊かな知恵の世界があり得るのだということが、あらためて認識されるようになった。

これが、ヴェネチアなど海洋貿易国家が大いに富を得たことと相まって、後のルネッサンスにつながって行くのである。

第三には、前稿でも触れたように、第一回十字軍が、3年余におよぶ苦難の遠征の末にエルサレムをイスラムから奪い取ったことで、ヨーロッパの人々は、「やはり神は正しき者に味方した」などと考えるようになった。正義は我にあり、と信じて優勢な敵に立ち向かう崇高な行為が”crusade”なのだ。

その後イスラムが盛り返し、再びエルサレムを手中に収めた(1187年)結果、十字軍も数次にわたって送り出されることとなり、イングランドのリチャード1世「獅子心王(リチャード・ザ・ライオンハート)」など、国王が陣頭指揮を執る例まで見受けられるようになった。

写真)イングランド王のリチャード1世

出典)Joconde Database 絵の作者:Merry-Joseph Blondel

 

かくして、近世になってからも、またキリスト教の教義と関係あろうがあるまいが、正義は我にありと信じる人々が、十字軍を名乗るケースが出てきた。

昨今『赤狩り』(山本おさむ・著 小学館)という漫画が人気を博している。1950年代のハリウッドで、有名なマッカーシズムに抵抗しつつ『ローマの休日』などの傑作を生み出した映画人たちの苦闘を描いたものだ。

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