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自由とは覚悟のいる孤独な道

Japan In-depth / 2018年4月20日 7時0分

日本においては相当に選択の自由が許されていますから、進学、就職、住む場所、恋愛相手、かなり自由が利きます。自由が利き自ら選べるということは結果どうなるかも含め、自分の選択にかかっています。

自由とは覚悟の話だと私は考えています。自由は苦しい孤独な道です。エーリッヒフロムは、孤独に耐えきれず人は自由から逃走し、隷属と依存の道を歩むと言っています。

▲写真 エーリッヒフロム 1974年 Photo by Müller-May

孤独に耐えきれず人は、何者かの下に入ることで、または何かの私物化をすることで、自らの選択を放棄し、結果責任から免れようとします。言われた通りにしている限り、言った側の責任になるからです。ハサミが何かを傷つけた時、責任はハサミを使った側にあります。

けれども、私の考えでは、それでもなお人生をトータルして人は責任をとるということだと思っています。つまり自由から逃走した人生では、自らの人生の手綱を持っていないわけです。ある日、自らが所属する組織やコミュニティが崩壊した時、人が放り出されるとします。困ったなんとかならないかと、彷徨う人に自由な社会はこう突きつけます。

“だってこうなるように生きてきたのはあなたじゃないですか”と。

今どのような人生を生きているかは、今までどのように生きてきたかで決まっていて、明日どのように生きるかが未来を決めるわけです。極めてシンプルで、人生は美しいと私は思っています。それを残酷だと感じる人もいますが、少し寂しいながらもホッとしている人もいます。私は後者の人間となるべく仕事をしたいと思っています。

自由とは覚悟で決まります。自由になるということを覚悟を持って受け入れられない人は生涯にわたり何かに依存し隷属する道を歩みます。自由な社会とは大人の社会です。私は私がどのように生きてきたかの結果でできているということを受け入れる社会です。そしてその覚悟が決まった時、今この瞬間に私は新しい自分になれるのだという希望が湧き出てくると私は信じています。

(この記事は2017年9月1日に為末大HPに掲載されたものです)

トップ画像:イメージ図 出典 Pixabay photo by geralt

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