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W杯とは見本市である 超入門サッカー観戦法 その6

Japan In-depth / 2018年7月19日 21時10分

まずサッカーの歴史を「超高速」で紹介すると、イングランドの農村青年の遊びから生じたフットボールが、やがてラグビーとサッカーへの分岐を経て定着するわけだが、その後イングランドが七つの海を支配する大英帝国となったことにより、ヨーロッパ大陸から中南米まで、貿易に従事する船員らによってサッカーが広められた。日本へは明治初期、東京の築地に置かれた海軍兵学寮(後に広島県江田島に移転し、兵学校と改称)に教官として招かれた、アーチボルト・ダグラス少佐以下、30名の海軍軍人によってサッカーが伝えられている。



▲写真 アーチボルト・ダグラス少佐 出典 パブリック・ドメイン


一方、これは前にも述べたことだが、サッカーの国際組織であるFIFAは1904年、パリで旗揚げされた。そして、3代目会長となったジュール・リメというフランス人が、ウルグアイ東方共和国の建国100周年を祝うイベントに相乗りする形で、初のサッカー世界選手権を実現させた。これが第1回ウルグアイ大会で、1930年のことである。選手全員の滞在費を負担してもよい、というウルグアイ政府からの申し出にリメが飛びついたとも、もともとリメのアイデアで事が運んだとも言われ、詳しい舞台裏は今も分かっていない。



▲写真 ジュール・リメ 出典:パブリック・ドメイン


当初の名称は「ジュール・リメ杯(サッカー)世界選手権大会」というもので、俗にワールドカップと呼ばれていたわけだが、1974年西ドイツ大会から、正式名称もFIFAワールドカップとなった。


……というわけで、歴史的にも因縁の深い「母国対決」は見られなかったが、別の意味で今次のワールドカップは面白かった。総人口わずか30万のアイスランドがヨーロッパ予選を突破して本大会初出場を果たしたし、準優勝したクロアチアにせよ、面積・人口ともに北海道を下回る。



▲写真 クロアチア ドブロブニク旧市街 flickr: Travel-Picture


アジア勢でも、1次リーグを突破したのは日本だけだったが、韓国は最終戦でドイツを破る大金星を挙げたし、今やワールドカップは「ヨーロッパと南米の覇権争いの場(かつては、こう考えられていた)」ではない。


言い換えれば、日本代表が世界一の座に就くことだって、決して夢物語ではないのだ。


問題は、サッカー協会にそのような自覚と目的意識があるか否かだが、この話は次稿・シリーズ最終回であらためて問いかけさせていただこう。


トップ画像:France champion of the Football World Cup Russia 2018 Photo by Russian Presidential Press and Information Office


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