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ゴーストップ事件をご存じですか? 昭和の戦争・平成の戦争 その2

Japan In-depth / 2018年8月14日 21時6分

まずは陸軍側が、制服の兵士を拘束しようとしたのは不穏当である、などと警察に抗議し、これを受けた警察も、「軍人が陛下の軍人だと言うなら、警察官も陛下の警察官である」として、謝罪など論外だと応じた(22日)。


その後、大阪府知事と陸軍幹部の会談も物別れに終わるなど(24日)、対立はエスカレートし、警察署長が過労で倒れたかと思えば、ついには目撃者の一人が自殺するという事態まで起きた。警察と憲兵隊から交互に呼び出され、双方から、こちらに有利な証言をするようプレッシャーをかけられたせいであると、衆目が一致している。


結局、半年近くも泥仕合が続いたのだが、昭和天皇が心配されているとの情報を得た陸軍側が、急に矛を収める形で和解に至った。11月20日、当事者の兵士と巡査がともに検察に出頭して(兵士が巡査を告訴していた)、互いに謝罪した後、握手して別れたという。


世間の目には痛み分けと映ったのだが、法曹界においては、警察権力を含めた法の支配も現役軍人には及ばない、という解釈が根付く結果を招いた。と言うより、警察や裁判所といった司法執行機関までが、軍隊に対して及び腰になったのである。


この3年後、1936(昭和11)年2月26日に、2・26事件として有名なクーデターが起きるわけだが、実は警察は、憲兵隊より先に「一部青年将校の間に不穏な動きあり」との情報を得ていた。しかしながら軍部と再度のトラブルになることを嫌った上層部の判断で、この情報を黙殺したのである。



▲写真 昭和11年2月26日、芝浦埠頭に上陸する海軍陸戦隊。 出典:シリーズ20世紀の記憶 『満洲国の幻影』 (毎日新聞社)


昭和の日本は、ある日突然「軍部独裁」になったわけではなく、様々な事件が、物語の伏線のような役割を果たしていたのだ。


そして戦後の自衛隊は、警察官僚の支配下に置かれるようになった。


シビリアン・コントロール(文民統制)のもとで、俗に背広組と呼ばれる内局が実権を握って、部隊の移動や実弾の支給など、たとえ緊急時でも現場の判断だけではできないようになったのである。


もちろん、自衛隊のルーツは「警察予備隊」なので、別に戦前への反省から警察の優位が保たれていたわけではない。また、有事即応という観点から疑問視する声も多い。


とは言え、警察官僚による支配が「軍部の暴走」に対する抑止力として機能していることもまた事実で、このことは、1970(昭和45)年に、作家の三島由紀夫が自衛隊にクーデターを呼びかけた後に割腹自殺した、世に言う三島事件を検証する過程で明らかになった。


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