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「情報敗戦」を見直そう 昭和の戦争・平成の戦争 その3

Japan In-depth / 2018年8月23日 20時5分

事実である。バブル崩壊の時のことを考えてみればよい。あの時の「バブル退治」という発想自体は、経済政策として「大東亜共栄圏」よりはまともだった、という評価はあり得るかも知れない。しかし、あのタイミングで不動産取引の総量規制、という荒療治を断行して、どれほどの副作用が考えられるか、事前によく調べていたと考える人がいるであろうか。


さらに言えば、外国のスパイを国内法で処罰する制度が未だできていないのに、市民が政治を監視するような行動に、逆に縛りをかけるような特定秘密保護法案だけを急いで成立させるというのも、情報と国家戦略の関係性が、よく理解できていないからではないのか。


昭和の戦争に話を戻すと、戦局が悪化していよいよ駄目だ、との認識が広まりはじめた頃、具体的には1944(昭和19)年の暮れから、終戦の年・1945(昭和20)年の初頭にかけてだが、当時の国家上層部はそれでも、ソ連の仲介による「無条件降伏ならざる講和」とか、米軍に出血を強いた上での「一撃講和」などに望みをかけていた。


ヨーロッパで米英ソの駆け引きや、水面下で始まっていた米ソ対立などについて、もっと情報収集に力を入れていたならば、沖縄戦や中国残留孤児の悲劇を伴わない形で、まともな「出口戦略」を立案することも可能だったのではないか。


今そんな話をしてなんになるのか、と言われるかも知れないが、私は、本来の意味で「戦争を語り継ぐ意義」とは、こういう反省を重ねて行くことであると信じている。


(その2の続き)


トップ画像:東京大空襲で焦土と化した首都東京 1945年3月10日 出典 U.S.Military


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