追悼 マケイン議員との忘れ得ぬ語りあい
Japan In-depth / 2018年8月28日 9時59分
▲写真 マケイン氏は海軍パイロットとしてベトナム戦争に出撃した 出典:マケイン氏公式ホームページ
私が1989年秋に二度目のワシントン駐在特派員となったころ、マケイン氏は新人に近い上院議員だった。だがすでに外交や軍事の諸問題では政策論議の先頭に立つことが多かった。インタビューを申し込むと快諾してくれた。時の民主党クリントン政権の外交政策へのマケイン議員の意見を聞きたいことが契機だったが、実は彼のベトナム観に強い関心があった。
私も毎日新聞記者としてベトナムに4年近く滞在していた。マケイン氏が北ベトナムで捕虜生活を送っていたときの2年ほどは私は南ベトナムの首都サイゴン(いまのホーチミン市)に駐在していた。その間、ベトナム戦争の終わりと共産主義革命の始まりを目前にみた。
この体験をマケイン議員に告げると、彼は身を乗り出すように聞き入り、ベトナムについて語り始めた。以来、何度もインタビューを申し込んだが、いつも快く応じてくれた。しかも毎回、必ず時間をたっぷりととって、話しをしてくれた。
▲写真 米上院建物内でテレビのインタビューを待つマケイン氏(2011年7月27日)出典:マケイン氏Facebook
私もワシントンでの長い特派員生活では数えきれないほどのアメリカの議員たちと会い、話しをしたが、率直に相互に語りあうという実感を得た相手はまずマケイン議員が筆頭だった。そんな語りあいの主題はほとんどベトナムだった。
「ベトナムにはあれほどひどい扱いを受けたのに、なお魅されてしまう。ふしぎです」
マケイン議員はこんな感慨をもらしたこともあった。1990年、彼の上院議員事務所で直接、聞いた言葉だった。自分の人生ではやはりベトナム体験が最も激烈な出来事だったという告白とも受け取れた。
マケイン氏の捕虜時代の苦労についてはすでに広く知られていた。撃墜されて、パラシュートで降下した際にさんざんに殴られ、両足を骨折したが、治療をほとんど受けなかった。軍事情報の暴露や爆撃への謝罪を迫られ、拒むと、拷問にかけられた。北ベトナム側はやがて彼の父の米海軍内での重要な地位を知り、政治宣伝用に特別な解放を申し出たが、彼が拒否した。
マケイン氏は長い拘束の期間、アメリカ合衆国の歴史を細かに復習し、さらに人生の意味について沈思にふけることで目前の苛酷な現実から目をそらしたという。独房に入れられた年月がほとんどだったが、ときおり顔を合わせる他の米軍人捕虜たちにも工夫をこらした方法で激励のメッセージを送り続けた。
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