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三人三様 元横綱の話 スポーツの秋雑感 その2

Japan In-depth / 2018年10月20日 0時5分

ちなみに、彼と同じ日大相撲部出身者の中に、悪質タックル問題などで指弾された「例の理事長」がいる。大学時代にどんな教育を受けてきたのか、おおよその察しはつこうというものだ。公平を期すために述べておくと、舞の海、高見盛といった、幅広い層からの支持を集めた力士も日大相撲部出身であるが。


輪島関はまた、入幕後、金色のまわしを着用したりすることも含めて「新時代の関取」などと持ち上げられたが、私に言わせれば、これこそ双方の(つまり着用した側も認めた側も)大いなる勘違いだ。真面目な話、様式美とか力士の品格といったものを無視した相撲など、それこそ単なるデブの取っ組み合いに過ぎないだろう。



▲写真 土俵は神がいる場所とされてきた。 出典:日本相撲協会公式ホームページ


話は変わるが、私が相撲に多少の関心を持つようになったのは、1980年代の終わり頃、英国ロンドンで暮らしていた当時のことである。


当時、千代の富士らが牽引していた相撲人気が、海外にまで伝播していて、BBCが相撲番組を放送していたのだ。日本の国技がどのように扱われるか、という関心の持ち方であった。千代の富士の特集番組が放送された直後、英国各地の若い女性から、「もしや、あのウルフが恋人募集中だということはないでしょうか」という、大真面目な問い合わせの手紙が殺到したことは、語り草になった。


もうひとつ、私が強く印象づけられたのは、大鵬親方(当時)のインタビューで、「心技体とよく言うが、全部揃った人間などいない。いるとしたら神様だ。人間はなにかひとつ足りない。足りないところを努力して補って行くのが、すなわち相撲道」だと語っていた。



▲写真 稽古総見での大鵬(2011年12月23日)出典:Wikipedia


こうした精神が、どうして日本国内でもっと広く発信され、また相撲界の内部で伝承されて行かなかったのかと嘆かわしく思うのは、私だけではあるまい。ただし私は、「さすがBBC!」などと持ち上げるつもりはない。番組そのものは、ふざけたものであった。


いや、ふざけていると言っては、それもそれで語弊があるかも知れないが、千代の富士の「ウルフ」はまあ、日本でも定着した愛称であるとして、三戸泉が「ソルトシェイカー(派手に塩をまく姿から)」、若島津は日本での「南海の黒豹」という渾名からだろうが「ブラックパンサー」などと、プロレスまがいの名前をつけていたのである。英国に相撲人気を定着させるための努力とは、こういうことではないだろう。


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