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バブル時代の歩き方(中)~ロンドンで迎えた平成~その2

Japan In-depth / 2019年2月28日 7時0分

と語ったことを、今でも覚えている。


つまりは1960年代の話になるわけだが、当時の英国は、80年代との比較で言っても対日感情がまだまだ悪く、そんな中で、下手な英語をなんとか操りながら日本製品の販路を開拓しようというのは、生半可なプレッシャーではなかった。


そのような中、たまに日本人が集まっての宴会となると、まさしく日頃の鬱憤晴らしで、飲めや歌えやの大騒ぎになったものだという。そして1980年代末期の、バブル景気を迎えることとなる。もう少し具体的に述べると、1986年12月から1991年2月までが「バブル期」と定義される。この51ヶ月間に、株価と不動産価格の大幅な上昇が見られ、それによる資産価値の増大を背景とした大型景気が続いた。


この呼称自体、1990年代になってから人口に膾炙するようになったらしいが、それは皮肉にも「バブル崩壊」と言われたのが始まりであるという。


別の言い方をすれば、バブル景気のまっただ中にいた当時は、これがバブルだと感じる人がほとんどいなかったことになる。


実はここに、大いなる問題があった。


不動産取引や株の売買というものは、当事者間での資金の移動があるだけで、それ自体がなにかを生産するわけでもなければ、多くの人を楽しませることもない。主として投機マネーによって、理論値(ファンダメンタルズ価格)とまるで一致しない資産価値の高騰が起きることを、経済学ではバブルと定義する。


ひらたく言えば、目に見える財物の裏付けがない帳簿上の好景気が到来したのであって、Bubble(泡沫)とは言い得て妙であった。


ただしこれは、繰り返しになるのだが、バブル崩壊後に皆が初めて気づいたことで、実体経済と一致しない大型景気を、自分たちの働きによるものと勘違いした人が大勢いたのである。


あくまでも伝聞であることを明記しておくが、1990年のロンドンで、まだ30代の日本人証券マンが、「100億円くらいなら、どぶに捨てたって構わないんですよ」と言い放ったことがあるそうだ。当時、大手証券会社の年間利益がトヨタのそれを上回った、という背景があってのことだと思われるが、「貴様の生涯賃金はいくらだ」とツッコミを入れる人はいなかったのだろうか。


金額的には、これよりかなり小さな話になるが、バブル崩壊後に名門と言われた証券会社が破綻して、社長が涙ながらに、「悪いのは私です。社員は悪くありません」とTVカメラの前で謝罪したことがある。あまり同情の余地もなかったが、同時に、(社員も、悪くないとは言えないだろう)


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