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米朝首脳会談と拉致問題

Japan In-depth / 2019年3月7日 0時0分

レーガンに、「答は常にシンプルだ。ただその答を揺るぎなく追求していくことが難しい」という言葉がある。チェイニーがここで言うのも同趣旨である。



▲写真 レイキャビク首脳会談(1986年10月11日)出典:ロナルド・レーガン・プレジデンシャル・ライブラリー&ミュージアムHP


なおレーガンは、2日間に亘ったレイキャビック会談で人権問題を明確に取り上げている。


特に2日目午前の、通訳のみを交えた首脳同士1対1の会談では、米ソ両国民間の結婚規制を緩和し、ユダヤ系市民の出国規制も緩和するなどと述べて人権討議を打ち切ろうとしたゴルバチョフに対し、レーガンは人権抑圧の数多の事例と釈放を求める政治犯の具体名を記したリストを手渡し、対応を要求。70分に及ぶ激論となり、結局午前の協議時間の大半が費やされた。


その際レーガンは、「我々の間で何を取り決めようが、人権で顕著な改善が見られなければ、議会が承認しない」と繰り返し強調している。


その場では何の言質も与えなかったゴルバチョフだが、会談決裂から約2か月後に最も著名な民主活動家サハロフ博士の僻地軟禁を解き、以後、次々に政治犯を釈放していった。


ある体制が真に「改革」に向かったか単なる見せかけをはかるメルクマールが政治犯の釈放である(拉致被害者の解放も広い意味でそこに含まれる)。ここにおいて翌1987年の訪米で、ゴルバチョフが、熱烈な歓迎を受ける下地が整ったと言える。


なおこの訪米の際の首脳会談でもレーガンは、再び人権問題を取り上げて更なる措置を求め、ゴルバチョフが「あなたは検察官か。私は被告ではない」と気色ばむ場面も現れている。


レーガンほど強硬執拗ではないにせよ、トランプ氏が、作年のシンガポール、今回のハノイと続けて、直接金正恩に拉致問題解決の重要性を伝えてくれたことの意味は大きい。


後は日本が揺るがず、北に対処していけるかどうかである。


トップ写真:第二回米朝首脳会談は、両首脳・側近によるソーシャルディナーで幕を開けた(2月27日、ハノイ)出典:flickr Photo by The White House


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