令和初の憲法記念日に考える
Japan In-depth / 2019年5月3日 7時0分
繰り返すが、日本国憲法は日本がアメリカをはじめとする連合国の占領下にあった1942年(昭和21年)2月2日からの10日ほどの期間に米軍の将校10数人により一気に書かれた。この将校団は連合国軍総司令部(GHQ)の民政局次長だったチャールズ・ケーディス米陸軍大佐を責任者としていた。連合国軍といっても主体は米軍だったのだ。
ケーディス氏は当時39歳、コーネル大学やハーバード大学の出身で戦前からすでに弁護士として活動していた。1941年12月にアメリカが日本やドイツとの戦争に入ると、同氏は陸軍に入り、参謀本部で勤務した後、フランス戦線で活動した。日本には1945年8月の日本の降伏後すぐに赴任して、GHQで働くようになった。そして赴任の翌年の2月に憲法草案作成の実務責任者となったのだ。
ケーディス氏の直属の上官は民政局の局長のコートニー・ホイットニー准将、さらにその上官は連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥だった。
▲写真 コートニー・ホイットニー准将、ダグラスマッカーサー将軍とエドワードアーモンド少将、USS山からの仁川の砲撃を観察する(1950年9月15日 マッキンリー)出典:国立公文書館
日本の新憲法に関してはGHQは当初、日本側にその起草を命じた。命を受けた時の幣原喜重郎内閣は松本烝治国務大臣にその起草を任せた。まもなくその草案ができたが、GHQは一蹴してしまった。内容が十分に民主主義的ではないという理由だった。その結果、GHQ自身が日本の新憲法を書くことを急遽、決めた。そしてその実務がケーディス大佐にゆだねられたのだ。
私はそのケーディス氏に1981年4月、面会し、日本国憲法作成の経緯を詳しく聞いた。ニューヨークのウォール街の大手法律事務所がその舞台だった。当時75歳のケーディス氏はその事務所になお勤務していたのだ。私の質問には時には用意した資料をみながら、なんでもためらわずに答えてくれた。結局4時間近くの質疑応答となった。
日本での憲法論議がこれからの令和の時代にもますます本格化するという展望を踏まえて、この論議のまず第一の出発点である日本国憲法誕生の実情をケーディス氏の述懐を主体に紹介しておきたい。
私はとにかく彼の話しから日本国憲法づくりの異様さに衝撃を受け続けた。なにしろ手続きがあまりに大ざっぱだったからだ。日本側への対処があまりに一方的な押しつけに徹していたからでもあった。そもそも戦勝国が占領中の旧敵国に受け入れを強制した憲法なのだから当然ではあろうが、それにしても粗雑な点が多かったのだと実感した。
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